この1週間、
北朝鮮の拉致事件関連での仕事のため自宅を空けてました。
仕事の面ではある意味では非常に充実した1週間を送れたものの
さすがに体力的にも精神的にも疲れました。
きのう拉致被害者の地村保志さんの言葉を聞いたのですが、
やはり22年間、北朝鮮で育った子供たちが
突然、風習はもちろん社会情勢からして全てが違う
しかも彼の国では「日本は敵だ」と教わったなかでの
突然の「来日」ですからね。
(「帰国」と言う言葉に違和感があるのであえてこう書きます)
本人はもちろんそうだろうけど、
親としても、ものすごく不安があるわけです。
「将来この子たちはどうなるんだろうか」
「友人はできるだろうか」
「学校の勉強についていけるだろうか」
これは子供をもつ親だからこそ当然持つであろう不安だし
状況は全く違うけど、同じ子供を持つ親として身にしみました。
この1週間の仕事の中で
わたしはとても疑問に思っていたことがあります。
「子供たちが自転車に乗って遊んでた」
「一緒に焼肉を食べた」
「マンガや映画を観て楽しんでいた」
こうした話は、
徐々に日本の生活になじんできているという目に見えた動きともいえるし
エピソードとしては面白いでしょう。
でもそれって今回の問題の本質を伝えているのだろうかと思うんです。
そうした話は子供たちのこまごまとした様子なんかよりも
むしろ、今彼ら(=子供たちや親)がどういった壁にぶつかり
今後どういったふうに乗り越えるのか。
そしてそれに対し我々や政府が何をすべきで何をすべきでないのか。
これを報じなければならないのではないかと思います。
これは大げさな言い方と思われるかもしれませんが
「家族の絆とは何か」「生きることは何か」を
考えさせられる重要な問題であると思うのです。
この問題はこれからが正念場です。
もちろん曽我さんの問題や、
ほかの安否不明者はどうなのかという
大きな課題も残っています。
みなさんはどう思いますか?
北朝鮮の拉致事件関連での仕事のため自宅を空けてました。
仕事の面ではある意味では非常に充実した1週間を送れたものの
さすがに体力的にも精神的にも疲れました。
きのう拉致被害者の地村保志さんの言葉を聞いたのですが、
やはり22年間、北朝鮮で育った子供たちが
突然、風習はもちろん社会情勢からして全てが違う
しかも彼の国では「日本は敵だ」と教わったなかでの
突然の「来日」ですからね。
(「帰国」と言う言葉に違和感があるのであえてこう書きます)
本人はもちろんそうだろうけど、
親としても、ものすごく不安があるわけです。
「将来この子たちはどうなるんだろうか」
「友人はできるだろうか」
「学校の勉強についていけるだろうか」
これは子供をもつ親だからこそ当然持つであろう不安だし
状況は全く違うけど、同じ子供を持つ親として身にしみました。
この1週間の仕事の中で
わたしはとても疑問に思っていたことがあります。
「子供たちが自転車に乗って遊んでた」
「一緒に焼肉を食べた」
「マンガや映画を観て楽しんでいた」
こうした話は、
徐々に日本の生活になじんできているという目に見えた動きともいえるし
エピソードとしては面白いでしょう。
でもそれって今回の問題の本質を伝えているのだろうかと思うんです。
そうした話は子供たちのこまごまとした様子なんかよりも
むしろ、今彼ら(=子供たちや親)がどういった壁にぶつかり
今後どういったふうに乗り越えるのか。
そしてそれに対し我々や政府が何をすべきで何をすべきでないのか。
これを報じなければならないのではないかと思います。
これは大げさな言い方と思われるかもしれませんが
「家族の絆とは何か」「生きることは何か」を
考えさせられる重要な問題であると思うのです。
この問題はこれからが正念場です。
もちろん曽我さんの問題や、
ほかの安否不明者はどうなのかという
大きな課題も残っています。
みなさんはどう思いますか?