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パラレル続き
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その部屋は、むわりと暑苦しく、何かの薬草の香りが立ち込めていた。
ベッドに近づくと、これが現実であることを誇示するかのように寝ている人の姿にシーツが盛り上がっている。

響く荒く浅い呼吸の音。
薄く伸びたひげに覆われた頬は、別人のようにひどくやつれて見える。

顔色は、これまで見たことがないほど土気色だった。
近所にいた高齢のじいさまが天に召される前のときの様な・・・それを思い出して、彼女はぞくりと背筋を這う寒気に襲われる。
じいさまは、化石の様な位長生きしていた。
ようやく先だった妻のもとへ行けると笑顔で逝ったと聞いた。
それとこれとは別のはずだ。
彼は死んだりなんかしないはずだ。
そう思う傍から体が震えた。
キョーコはありったけの意思を総動員してその震えを止めようとした。

目を開けてほしいと願うが、いつも穏やかな表情を映す瞳は、苦痛からか閉じられたままだ。


「ヤシロさん、どうして・・・?」
彼女は、自分が声を出せたことに驚いた。
それはみっともないくらいかすれていた。

「・・・村で、溺れかけた子供を助けたんだ。・・・レンはそれで軽い風邪を引いたと言っていた。」
軽い風邪くらいなら、体力がある青年であればすぐ直るだろうと。
実際、彼も何も言わずに平然と作業に参加していた。
だから大丈夫だという、レンの言葉を信じたのだ。

「昨日の朝、珍しく起きて来ないこいつを起こしに行った。」
淡々とヤシロは語る。
そして、ゆっくりと彼の体を覆うシーツの下をめくり、足をあらわにした。

たくさんのリネンが右足の脛から下に当てられているのが見えて痛々しい。

そっとそれを剥がしながら、ヤシロが言葉をつづける。
「たぶん、溺れかけた子供を助けたときについた些細な傷が元だろう・・・と思う。」

「っ!!」
キョーコは小さく息をのんだ。
両手で自分の口を抑える。

膝から下が、赤紫に完全に変色していた。
腫れ上がり、元の色がなんだったのかすらわからない。
そこからはよくわからない赤黒い体液がにじんでいる。
キョーコは呆然としたままそこを凝視した。
素人でもわかる。
これが、とてもひどい状態だということは。

「医者は足の切断を勧めた。」
こうなるまでには相当痛むはずだし、無理を重ねていたはずだ。
一切顔に出ないようにしていたにせよ、ずっとそばにいたのであれば気が付いてやるべきだった。
ヤシロは苦い後悔に苛まれていた。

朦朧とした意識の中で医師の声が聞こえたのだろう。
レンはそれを激しく拒否した。
「剣を突き付けて、足を切ったらお前の腕を切り落とすって医者を脅すもんだから、村の医者はさじを投げた。」
はは。と乾いた笑いが忠実な従騎士の口から洩れた。

「俺に・・・頼むんだ。・・・切るなと。」
熱い、力のない指でヤシロの手首をつかみ、うなづくまで離さなかった。
その指の感触が消えない。
従騎士として仕えてはいたが、ヤシロにとってレンは弟みたいな存在だった。

ふり払い、冷徹に決断しなければならないのはわかっていたが、切らないでほしいという願いを無下にすることもどうしてもできなかったのだ。

ここでは処置ができないと、何とか村で荷馬車を借り、王都へ連れてきた。
もしかしたら、王都の医師団であれば何とかなるのではないか。そう思ったのも事実だ。



キョーコは唇をかんだ。
些細な傷が元で命を落とすことはよくある。
小さな棘が命を脅かすことも。
それは今までキョーコにとっては遠い世界の出来事だった。

なのに、今、目の前で現実としてそれが差し迫っている。

「・・・お医者・・・様は…?」
「命を選ぶか足を選ぶかだ。と言っているよ。」
診察したた王都の騎士団専属の医師全員が同じ回答だった。
足を切っても、毒が体の中に残れば助からない可能性が高い、とも言われた。
けれど、それを口にすることはできなかった。
言葉にしてしまえば、もしかしたら考えうる中で医師の言う通りの一番悪い結果になるかもしれないと迷信じみた考えが頭をよぎったのだ。
そんな結果までは彼女に背負わせるわけにはいかない。

「・・・憎まれてもいいのかもしれないと思っている。」
ヤシロはレンの姿を見た。

生きていてほしいと思うのは傲慢だろうか。
騎士である彼にとって、戦いの上では不利になるかもしれない。
不利どころか戦えなくなるかもしれない。

でも、彼の望みに背いても生きてほしいと願うのは・・・。

「嵐が過ぎるまでに決断しなければならないんだ。」
嵐の間は万が一を考えても処置はできないと医師団に告げられている。

ヤシロは小声で君を巻き込んでごめんとつぶやいた。
一人だけで背負うには重すぎる決断だった。
けれど、愚かかもしれないが、レンの想い人であるはずの少女にその決断を許してほしかった。

彼女に許してもらえたら、いつか、彼にも許してもらえるかもしれない。
なぜかそう思ったのだ。
「・・・おれは、馬鹿だな・・・。」

キョーコは首を振る。
「・・・巻き込んでくれてありがとうございます。」
きっと、あとから知らされたとしたら、絶望はもっと深くなったはずだ。


彼女はきゅっと唇をかんだ。
歯を食いしばり、浮かんできた涙をこらえる。


いまは泣くべき時ではないと己に固く言い聞かせた。


「・・・厨房で解熱用の薬草・・・もらってきます。」
「ああ。お願いするよ。」
キョーコは身をひるがえして駆けだした。


ただそこから離れたかった。
現実ではないと思い込みたかった。

熱のある人間特有の浅く荒い息が耳から離れない。
否定したいのに、現実がのどに突き付けられている感覚だった。


本当は逃げ出したかったのだと気が付いたのはやみくもに城内を走って我に返った時だった。
怖かった。

・・・彼を失いたくない。
まるで、半身を切り取られているかのよう。

いっそ自分が代わりたかった。代われるもであるのならば。
こんなに何もできないことが苦しくて仕方なかった。

無力感にただ打ちひしがれる。


(・・・このエゴイスト!)
キョーコは物陰に駆け込むと、食いしばった歯の隙間から息を吸い込んだ。
どんなにこらえても浮かんでくる涙を見られたくなかった。
きっとそれはひどく醜いに違いない。

(泣いちゃダメだ!一番つらいのはレン様なんだから!!)
ぐいっと袖で涙をふく。

そしてひとつ呼吸を整えると、とぼとぼと、通いなれた厨房に向かう。
王宮の厨房は、口に入るものをすべて管理している。
つまり、薬の類も簡単なものであれば常備されてい.た。

縁の赤くなった目に、目ざとい厨房の管理を任されている中年の女性が気が付いたのは彼女が入ってきてすぐだった。
「どうしたんだい?」
いつも訓練終わりや前に立ち寄ってくれるときには、元気いっぱいで明るい少女が、ひどく打ちひしがれていて、痛々しい。
ヤシロに頼まれて、上官のために食糧を時々貰いにやってくるようになっていたこの礼儀正しい少女が気に入っていた彼女は、キョーコを見るにつけ、何くれとおせっかいを焼いていた。
少女も慕ってくれているのか、用事がないときや訓練の合間などに厨房のちょっとしたことを手伝ったりしてくれていた。
そんな彼女が、いまは萎れた花のようにしゅんとしている。
「おばちゃん・・・え、と、解毒用の薬草と熱さましはありますか?」
「あるけど・・・いったいどうしたの?なにかあった?酷い顔して・・・。」

キョーコは簡単に事情を語った。
「あの方の足を切るっていうのかい?」
驚いた声に、うなづき返す。
「命か足か選べと言われたらしいの・・・。」
あの美しい剣さばきが見れなくなるとしても。それを、どんなに本人が望んでなくても。
ヤシロの葛藤を想像する。
高熱で朦朧としながらも、足の切断をするなと頼まれて、それでも決断しなければならない。

運命は、なんてひどい現実をいきなり突きつけるのだろう。

そして、俯いたキョーコのかみしめた唇を見た彼女は料理人である彼女の夫を呼んだ。
「あんた!ちょっと!」
のそりと不愛想な男が奥から出てくる。
目線だけで妻に問うと、彼女は今までの経過を夫に説明した。
「・・・だから、若先生をよんどくれ。」
「おう。」

キョーコが何が何だかわからないうちに、料理人はさっさと出ていき、彼女は一つ頷いた。
「若先生って・・・?」
「あ、ちょっと変わりもんのお医者様さ。まあ、医者ってのは変人が多いけどね。」
「でも、お医者様にはもう診てもらって・・・。」

騎士団の主治医により診察済みだと説明したが、彼女は鼻で笑っただけだった。
「あの人もね、3年前に腕の傷から毒が入ってね、腫れ上がって・・・切らなきゃいけないって言われたんだ。」
夫が出ていったドアを見つめながら語る。
料理人にとって腕は命に等しい。

大事な腕を切るくらいなら夫は死を選ぶかもしれないと危惧した彼女は、ありとあらゆる手段を試した。
その中で、通いのメイドに下町にいい医者がいると教えてもらい、わらをもつかむ思いで訪ねたのだ。

「変人だったけどね、あの人の腕は今も胴体にくっついてる。それが事実さ。」
ぽんとキョーコの肩をたたく。

「とりあえず、薬草を準備してくるよ。まってな。」
「・・・は、はい!」

差し込んだわずかな希望に、キョーコは心から祈った。
ダメかもしれない。
手遅れと言われるかもしれない。

けれど、絶望するにはまだ早い。
肩に触れた、荒れた暖かい手がそう告げているようで、キョーコはようやく僅かに笑顔を作った。


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ちょっと補足:
*レンの症状は傷口からの細菌感染の悪化による壊疽です。ただ、設定上この時代には細菌という観念がないため、作中では”毒”と表現しました。

ちなみに私事ですが、咳のし過ぎで肋骨がいかれてしまいました。地味に痛いので難渋してます。歩いても響く有様w
もう1週間ほどバストバンドと痛み止めとシップが離せませんw
皆様も体調管理はくれぐれもお気をつけてくださいませ。