仁徳天皇は「民のかまど」で知られる天皇だ


民のかまどとは、夕餉の煙が上がるようになるまで租税の徴収を再開しなかった故事による。


こんな支配者は日本にしかいないのではないか。 


だが、そもそも、天皇は支配者なのだろうか。


現代でも北では民衆が餓死しようが絞り上げる。


日本が併合するまでの李氏朝鮮もそうだった。


フランス革命が起きたフランスもそうだった。


だが、日本では古来より民衆を第一に考える最高位の存在がいた。


民衆を第一に考えるから謙虚ですらある。


そのような存在を戴いているから我々は謙虚にならざるを得ないのだ。


天皇ですら従わねばならない「公」というものを最高位にある存在自らが厳粛にそれを産み出し、守る。


それを少なくとも1500年もの長きに渡って実際に実行してきた。


ハイデッガーの「存在と時間」は著名だ。


だが、日本のこのような、西洋民主主義よりもはるかに上位にあると思われる公とその存在を尊ぶ国民を生み出すには未だに至っていない。


瞬間的に個人的なレベルで出現することすら叶わなかったのかどうは知らない。


だが、現実に日本人は実現している。


だから総合的に現れたのだ。


2011年の3月11日、誰からも強制されることなく列をなし、延々待ち続けた東京の駅前の風景に被災した日本人は驚かず、海外が驚いたことに我々は驚いた。


無駄にはならないだろうが、要旨がわかればいいのではないか。