毒を盛るひと61 あたりまえの風景 | カラダとココロとたましいと ぢゅんさんのブログ

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浅かろうが深かろうが、気づきはその人にとっての宝なのよ。

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このシリーズは、わたしが宇宙の法則やミラクルを語る口になりたいと願い、それを実行していく過程で、どうしても自分自身と向きあうことで、消化して昇華させることが必要だった
もっとも身近な[毒を盛るひと]とのエピソードと、
それについてわたしが感じたこと感じていることをギリギリまで言語化した記録です







毎日毎日、自分の内側の「発見」に驚いている。

iPhoneを使うようになって、わからない言葉を即座に調べるという習慣がついた。
もともと辞書を引くことは好きだったが、出先や、思いついた時に、というわけにはいかなかった。電子辞書買おうか迷ってるうちに…iPhone生活となった。すごい時代だ。

昨日の朝、⁈、と思って調べなおした言葉がある。
【フラッシュバック】。
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この言葉を聞いて、ああ、アレのことだな…と思う記憶が、わたしの中にはいくつかあった。
そのままいくつか検索して気づいた。

わたしがこのブログに書いてきた、母とのエピソードは、実はフラッシュバックだったのだ。

フラッシュバック…わかりやすいものだけをそう呼んでいるのだと思ってた。違った。食事をしている時も、外出して親子連れを見てもくま夫とケンカしても、洗い物をしてもベッドに横になっても、

日に何度もフラッシュバックが起こっていたんだ。

どうしてわからなかったの?

それはね、
それが『あたりまえの風景』だったから。

わたしの内なる世界では、母がらみの納得いかないことが、
減らずにどんどん増え続けていたの。
その記憶たちを、整理もできずに、ただ衝撃を受けたまま、瞬間冷凍して、ココロの中に積み続けていただけだったんだ!って。
あまりに自然過ぎて、そういうものだって思って生きてきたわけです。

それが、くま夫に疑問を聞いてもらい、親友たちに聞いてもらい、このブログにちゃんと自分のココロと向き合った上で書き続けたら……

減っていたんです。フラッシュバックが。

減ったからこそ、フラッシュバックという言葉に反応して、踏み込んで調べ直すことができた。

母から離れ、「今を生きている」ように見えて
実は洗濯機の渦の只中でぐるぐるしていたことに、
抜け出してからようやく気づくことができた。

母から「いらない子」と直接言われ始めた頃、自分が真空パックにされたように感じて、動けなくなったというフラッシュバックの記憶があった。


おととい、その真空パックが突然開封された。
自分のカラダに、失った色たちが戻ってきたような感覚。
まるで見えづらい透明のビニールパック製の、全身枷が外れたよう。

ああもうわたし、自由でいいんだ。
いま、ホッとしている。
と、同時に、カラダが驚いているようで、
調子がガッタガタ。眠くて眠くて仕方がないです。






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