「想像」=「創造」ということ
今日は朝から天気は良かったものの、なんだかどこかに
行く気分になれず、一日ぼぉーっとして過ごしていた。
そんな中、札幌に居る真木子から電話がかかってきて、
面白いエピソードがあったので、シェアしたいと思う。
それは、タイトルにも書いている
「想像」=「創造」ということ
これは、書いてある通りなのだが、
想像したことは、創造できるということである。
逆を言えば、想像できないことは、
創造することができないということである。
これは、バシャールやエイブラハム、その他の色々な
スピリチュアル系で紹介されていることなので、
みなさんも知識として知っていると思う。
なぜなら現実は自分自身の宇宙であり、
自分が創造しているからに他ならないからだ。
つまり、今自分が直面している現実はすべて
自分が創っているだけなのだ。
そういう意味で、バシャールは
現実は幻想(イリュージョン)だと言っている。
唯一、リアルなものは現実の経験だけだと。
なぜ、こんな話をしているのかと言うと
もうかれこれ、7~8年前になる頃、
真木子と二人で生パスタを作ったときの話。
私自身、正直いうと料理は決して得意な方ではなく
主に食べる側の担当をしている。
どちらかというと、料理は苦手な部類になって
しまうだろう。
そういう中で、ネット上からレシピを見つけたのだろうか、
真木子が生パスタが簡単にできるから
ちょっとやってみようよ。
との軽い感じで、
まぁ、やってみようかということになった。
私は生パスタの生地を担当し、
自分ではレシピ通りにやっているつもりだった。
ただ、このとき多分こんな波動を出していたのかもしれない。
「自分は料理が苦手だけれども、
本当に簡単に生パスタなんてできるのだろうか?」
真木子も当時を振り返り、こんな感じの波動を出していたようだ。
「う~ん、大丈夫かな? うまくできないかもしれないかな?」
そして、生地が出来上がり、パスタに仕上げるため切っていく。
このとき、本当は細く切りたかったのかもしれないが、
初めて作ることもあって、多少太く切ってしまった感じもする。
そして、パスタを茹でる工程に入る。
レシピ上では、私はもう覚えてないのだが、
真木子の話では、3分~5分位という
短い時間だったと言っていた。
多分、私的な観念では、
「えっ?普通のパスタでも8~10分位かかるのに
ちょっと早すぎない?」
という感覚に陥っていたと思う。
真木子もそういう風に感じていただろう。
そして、5分茹でてみた。
全然、煮えていない。ほとんど生の状態だ。
10分経過。
あまり変わっていない。
まぁ、パスタがちょっと厚いせいなのかも。もうちょっと茹でるか。
20分経過。
あれ?表面的には、少し茹った感があるけど、中はぜんぜん生の状態。
もうちょっと茹でる必要があるかも。
30分経過。
なんだか、表面がドロドロ溶けてきた感じがするような。
でも、やっぱり中はまだまだ生の状態。
うーん、そろそろ茹ってもいいと思うがもうちょいやってみるか。
40分経過。
もう表面がドロドロして、これ以上茹でるのはおかしいと感じる。
いい加減、もういいでしょうみたいな感じで
とりあえず、茹でるのを止めて、仕上げて試食してみる。
うん?
やっぱり、中は生の状態のまま。
はっきりいって美味しくない。
う~ん、むしろ不味い。
このとき思った、
ほぉ~ら、やっぱり失敗したものができたよねと。
今思うとこのとき何分茹でようが、おそらく茹でられなかったのだろう。
1時間茹でようが、
2時間茹でようが、
3時間茹でようが。
そもそも3時間も茹でたら全部溶けるかもしれないが。
もうお分かりだと思うが、これは私と真木子の二人で
創りあげた現実の経験だ。
それぞれの宇宙で想像して創りあげたのだ。
結果として不味い生パスタを作ることになったのだが、
「想像」=「創造」ということの証明になっている。
実に面白い。
最近、真木子もおいしいパスタを作ることができるようになって
当時のこの話は、二人で創りあげたものだと
気付いて連絡してきたのだ。
アル・デンテのパスタを作るために必要なのは
最適なタイミング、つまり時間ではなく、
想像(イマジネーション)なのだということを
最近、気付いたようなのだ。
そう、バシャールが言っている通り、
時間自体はイリュージョンなのだ。
でも実は私の場合、
この「想像」=「創造」は、仕事を通じて理解していた。
私の仕事はIT関連の仕事をしていて、
メインの仕事がプログラマを作ることだった。
その手の仕事をやっている人なら分かると思うが、
アルゴリズムやロジックを考える上で
想像というものを使う。
まぁ、そんなものを使わない人もいるだろうが
私の場合は、
いかに効率的に
いかに短いコードで
処理時間が速く
不具合のない完璧なものを作ることに
フォーカスを当てていたので
この部分に、今までのロジックをそのまま適用するのではなく
もっといい方法があるはずだ
との発想でいつも取り組んでいた。
これが想像することであった。
そして、想像できることは
絶対に創造できると考えていた。
だから、他の人は絶対に無理だということも
実現していたりしていた。
故にそんなことをしていて、自分のスキルを高めていたので
あるとき社内で、
「不可能を可能にするモリテックに発注すれば大丈夫や」
などと言われるようになっていった。
今思うと、これも出来る自分を演じていたプロセスだった感じがする。
本当は誰しもできるはずなのに。
だけれども、私の場合、このプロセスを行うにあたって
ある程度の苦労は伴うとの観念も持ち合わせていたので
とても楽々に仕事をこなすという感じではなく、
いつも本当に大変な思いをして、
達成感を感じることを選んでいたようだ。
本当に大変な仕事ばかりしていたような記憶だけがよみがえる。
この件の話はまた今度ゆっくりしたいと思う。
想像できることは、必ず創造することができるのだということを、
自分自身に言い聞かせるために
当時からそのメッセージを送っていた
ハイヤーセルフに対して、本当にありがとう!と言いたい。
行く気分になれず、一日ぼぉーっとして過ごしていた。
そんな中、札幌に居る真木子から電話がかかってきて、
面白いエピソードがあったので、シェアしたいと思う。
それは、タイトルにも書いている
「想像」=「創造」ということ
これは、書いてある通りなのだが、
想像したことは、創造できるということである。
逆を言えば、想像できないことは、
創造することができないということである。
これは、バシャールやエイブラハム、その他の色々な
スピリチュアル系で紹介されていることなので、
みなさんも知識として知っていると思う。
なぜなら現実は自分自身の宇宙であり、
自分が創造しているからに他ならないからだ。
つまり、今自分が直面している現実はすべて
自分が創っているだけなのだ。
そういう意味で、バシャールは
現実は幻想(イリュージョン)だと言っている。
唯一、リアルなものは現実の経験だけだと。
なぜ、こんな話をしているのかと言うと
もうかれこれ、7~8年前になる頃、
真木子と二人で生パスタを作ったときの話。
私自身、正直いうと料理は決して得意な方ではなく
主に食べる側の担当をしている。
どちらかというと、料理は苦手な部類になって
しまうだろう。
そういう中で、ネット上からレシピを見つけたのだろうか、
真木子が生パスタが簡単にできるから
ちょっとやってみようよ。
との軽い感じで、
まぁ、やってみようかということになった。
私は生パスタの生地を担当し、
自分ではレシピ通りにやっているつもりだった。
ただ、このとき多分こんな波動を出していたのかもしれない。
「自分は料理が苦手だけれども、
本当に簡単に生パスタなんてできるのだろうか?」
真木子も当時を振り返り、こんな感じの波動を出していたようだ。
「う~ん、大丈夫かな? うまくできないかもしれないかな?」
そして、生地が出来上がり、パスタに仕上げるため切っていく。
このとき、本当は細く切りたかったのかもしれないが、
初めて作ることもあって、多少太く切ってしまった感じもする。
そして、パスタを茹でる工程に入る。
レシピ上では、私はもう覚えてないのだが、
真木子の話では、3分~5分位という
短い時間だったと言っていた。
多分、私的な観念では、
「えっ?普通のパスタでも8~10分位かかるのに
ちょっと早すぎない?」
という感覚に陥っていたと思う。
真木子もそういう風に感じていただろう。
そして、5分茹でてみた。
全然、煮えていない。ほとんど生の状態だ。
10分経過。
あまり変わっていない。
まぁ、パスタがちょっと厚いせいなのかも。もうちょっと茹でるか。
20分経過。
あれ?表面的には、少し茹った感があるけど、中はぜんぜん生の状態。
もうちょっと茹でる必要があるかも。
30分経過。
なんだか、表面がドロドロ溶けてきた感じがするような。
でも、やっぱり中はまだまだ生の状態。
うーん、そろそろ茹ってもいいと思うがもうちょいやってみるか。
40分経過。
もう表面がドロドロして、これ以上茹でるのはおかしいと感じる。
いい加減、もういいでしょうみたいな感じで
とりあえず、茹でるのを止めて、仕上げて試食してみる。
うん?
やっぱり、中は生の状態のまま。
はっきりいって美味しくない。
う~ん、むしろ不味い。
このとき思った、
ほぉ~ら、やっぱり失敗したものができたよねと。
今思うとこのとき何分茹でようが、おそらく茹でられなかったのだろう。
1時間茹でようが、
2時間茹でようが、
3時間茹でようが。
そもそも3時間も茹でたら全部溶けるかもしれないが。
もうお分かりだと思うが、これは私と真木子の二人で
創りあげた現実の経験だ。
それぞれの宇宙で想像して創りあげたのだ。
結果として不味い生パスタを作ることになったのだが、
「想像」=「創造」ということの証明になっている。
実に面白い。
最近、真木子もおいしいパスタを作ることができるようになって
当時のこの話は、二人で創りあげたものだと
気付いて連絡してきたのだ。
アル・デンテのパスタを作るために必要なのは
最適なタイミング、つまり時間ではなく、
想像(イマジネーション)なのだということを
最近、気付いたようなのだ。
そう、バシャールが言っている通り、
時間自体はイリュージョンなのだ。
でも実は私の場合、
この「想像」=「創造」は、仕事を通じて理解していた。
私の仕事はIT関連の仕事をしていて、
メインの仕事がプログラマを作ることだった。
その手の仕事をやっている人なら分かると思うが、
アルゴリズムやロジックを考える上で
想像というものを使う。
まぁ、そんなものを使わない人もいるだろうが
私の場合は、
いかに効率的に
いかに短いコードで
処理時間が速く
不具合のない完璧なものを作ることに
フォーカスを当てていたので
この部分に、今までのロジックをそのまま適用するのではなく
もっといい方法があるはずだ
との発想でいつも取り組んでいた。
これが想像することであった。
そして、想像できることは
絶対に創造できると考えていた。
だから、他の人は絶対に無理だということも
実現していたりしていた。
故にそんなことをしていて、自分のスキルを高めていたので
あるとき社内で、
「不可能を可能にするモリテックに発注すれば大丈夫や」
などと言われるようになっていった。
今思うと、これも出来る自分を演じていたプロセスだった感じがする。
本当は誰しもできるはずなのに。
だけれども、私の場合、このプロセスを行うにあたって
ある程度の苦労は伴うとの観念も持ち合わせていたので
とても楽々に仕事をこなすという感じではなく、
いつも本当に大変な思いをして、
達成感を感じることを選んでいたようだ。
本当に大変な仕事ばかりしていたような記憶だけがよみがえる。
この件の話はまた今度ゆっくりしたいと思う。
想像できることは、必ず創造することができるのだということを、
自分自身に言い聞かせるために
当時からそのメッセージを送っていた
ハイヤーセルフに対して、本当にありがとう!と言いたい。