歴史というのは暗記科目であるとよく言われますが、歴史の勉強というのを暗記科目にしてしまうか、それ以上のものにするかは須らく本人よるものであると思います。


 例えば、遣唐使というものを歴史の授業で扱って、それを犬上御田鍬や小野妹子を覚えて終わりにしてしまうのか、そこから何かを学び取るのか、の違いであると思います。


 遣唐使というものを教えるにあたって大切なことは、誰が行ったとか、いつ頃行ったとかではなくて、「謙虚に学ぶ姿勢」であると思います。


 古代の中国というのは律令制のように確かに優れた部分もたくさんありました。そういうものを古代の日本人というのは謙虚に学びました。


 一方で、中国の方から、日本に遣日使のようなものは送られてきませんでした。しかし、それは決して日本に学ぶべきものがなかったからではなく、中国の側に学ぼうという姿勢がなかったことを表しているにすぎません。


 そういった日本と中国の姿勢の違いが顕著に表れたのが明治維新であったろうと思います。


 幕末、西欧の強力な軍事力や国家制度を目の当たりにした当時の日本人は、やはり謙虚に西欧に学んで明治維新を成し遂げます。


 一方、中国は、古代と何等変わらず学ぼうとしませんでした。結果、中国は維新を起こすことは出来ませんでした。


 歴史を学ぶというのは、こういう部分だろうと思います。