室町時代の将軍といえば、金閣寺を建てた足利義満と銀閣寺の義政がよく知られていますね。

ともに建物だけでなく、金閣寺庭園銀閣寺庭園室町時代の庭園として特別名勝になっており、室町時代の作庭家、夢窓疎石の影響が見られます。

 

今回は、銀閣寺庭園を取り上げます。

個人の感想として、金閣寺はそのキラキラ金閣のインパクトが強すぎて、庭は付け足しのように思えますが、銀閣寺は建物が渋い(悪く言えば、目立たない)ので余計に庭の印象が強く残ります。

 

 

2022年10月に、銀閣寺に行った時の写真でご紹介します。

入り口の門をくぐって、右に折れる参道は、「銀閣寺垣」として有名です。左手は竹垣、右手は背の高い椿の生垣です。

お寺の様子が全く見えてこない通路を歩くのは、期待感を高める効果大ですね。

 

 

 

銀閣寺は正式には慈照寺(じしょうじ)、1482年に足利義政が建てた東山山荘に始まります。

銀閣とは、観音殿のことで1489年に建造が始まりましたが、義政はその完成を見ずに翌年に亡くなりました。彼の死後、禅寺となりました。

銀閣に銀箔が貼られていないのは、完成前に義政が亡くなったからだとか、財政難だったからだとか言われていますが、本当はどうだったのでしょう。

 

京都に初めて来る観光客は、金閣寺に団体バスツアーでどっと押し寄せ、外国人たちは”This is something!” と感動します。金閣同様、観光客もキラキラ華やか。スケジュールに追われ、次々にぎやかに通り過ぎていきます。

 

一方、銀閣寺を訪れる観光客は小グループで、自分たちのペースで庭を楽しんでいます。外国人の小グループのそばを通り過ぎるとき、あまり英語は聞こえてきません。フランス語かな?ドイツ語かな?と思ったりします。

 

義政デザインの池泉回遊式の庭園には広く苔が広がり、これは夢窓疎石作の西芳寺(苔寺)をモデルとしているそうです。

 

 

向月台(こうげつだい)と銀沙灘(ぎんしゃだん)は江戸時代の作だそうです。

ここで義政が、月明かりの庭を楽しんだわけではないのですね。

 

 

 

 

現存する東山山荘の遺構は、銀閣と東求堂(とうぐどう)のみで、ともに国宝。

東求堂は義政の持仏堂で、中の四畳半は義政の書斎で、書院造の始まりと聞いたような記憶がありますが、外からは見えません。

 

 

 

丘に登る小道をたどると清水が流れてきます。義政の茶の湯に使った水だそうです。

透き通ったきれいな水。カニが歩いていました。

 

 

 

高台からは遠く西山が見えます。その右手は、金閣寺のある衣笠あたりかな。

2022年、息を切らしながら景色を眺めて、この丘を登るのももう年齢的にきついと感じました。

 

 

 

金閣寺は、金閣の裏手の丘を登らないと出口にたどりつけないけど、銀閣寺は、丘をショートカットしても出口にすぐに出られるので、年金世代には向いています。

 

苔むす庭は、梅雨の季節はグリーンのベルベットでしょうね。

シルバー京都巡りの「苔の庭巡り」の候補地にとっておきましょう。(^///^)