大きな悲しみに触れた時など、本当にシリアスになる時はある。

 

 

もちろん、深い感傷に浸るときには、理性でなく、感情に従って過ごすことも大切。

 

 

でも、私たちの心はとても傷つきやすいため、日々傷つかないように生きている。

 

 

だから、ちょっとでも傷つきそうにな出来事は、ついつい避けようとしてしまう。

 

 

結果として、ちょっと傷つこうものなら、気分が落ち込んでしばらくは戻れなくなってしまう。

 

 

でも、あらゆる心の痛みや苦しみにシリアスになってしまってはもったいない。

 

 

せっかく

自分がやりたいことがあり、

なりたい自分があり、

好きな人と好きなことが人生には溢れているし、

これから先の素晴らしい体験があなたを待っている。

 

 

つまり、いちいち落ち込んでいる場合ではない。

 

 

でも、気分に支配されて、どうしても前向きになれない時はある。

 

 

そんな時は、是非”プレイ”をして遊んでいただきたい。



ここでいうプレイは、低俗的や性的な意図は含んでおらず、何かを演じるというこで理解しただけると幸甚だ。

 

 

例えば、好きな人にフラれたとする。

 

 

すると、この場合は、「失恋プレイ」をしていると考える。



そして、「好きな人にフラれて落ち込んでいる自分を演じている」という想定になる。

 

 

例えば、会社をクビになったとする。

 

 

すると、この場合は、「リストラプレイ」をしていると考える。



「会社をクビになって落ち込んでいる自分を演じている」という想定になる。

 

 

プレイがなぜ大事かというと、自分を客観的に見ることができるようになるから。

 

 

ただ、無理やり「失恋プレイ」や「リストラプレイ」をするのは難しいかもしれない。

 

 

でも、プレイが好きな人は、日頃からいろいろなプレイを講じている。

 

 

コンピューターゲーム

コスプレ

SMプレイ

サバイバルゲーム

 

 

などは極端な例だが、まさにプレイではある。



プレイはそれだけでなく、趣味もプレイと言える。

 

 

料理人がかっこいいと思って、手の込んだ料理をする。

プロゴルファーになりきって、ゴルフをする。

VERYに刺激を受けて、素敵なママを演じる。

 

 

実は、プレイしている自分は素の自分と違うかもしれないが、自分である限りは切り離せない。

 

 

さらに、自分たちは無意識にプレイを演じる。

 

 

仕事で上司の立場であれば、上司らしく振る舞う。

家庭での役割が母親であれば、母親らしく振る舞う。

自分が先生の立場であれば、先生らしく振る舞う。

 

 

こうやって、自分の人生は半分以上プレイで構成されている。

 

 

あえて演じる立場を取ることで、自分を客観的に見ることができ、自分をコントロールできるようになる。

 

 

大事なのは感情や欲求に流された時にでも、もう一人の自分でうまく自分をコントロールしてあげること。

 

 

つまり、自分自身を客観的に見る、もうひとりの自分を確立すること。

 

 

極端なことを言えば、もし客観的に自分自身を見ることができれば、人生のすべてを「プレイ」にすることができ、自分の状況に対して適切な処方箋を出すことができる。

 

 

もし、フラれても、もう一人の自分が「今回はレベル高かったね。高望みはやめよう」と思える。



もし、リストラされても、もう一人の自分が「リストラで悲しんでるプレイ中だね。そろそろ引き上げて、次の仕事探そうか。ひとまず失業手当を申請しに行こう」と言えるかもしれない。

 

 

もし、プレイができなければ、無意識に悲劇のヒロインを演じてしまい、絶望の淵に立たされて、自力回復は不能になる。

 

 

人生で大事なのは、事実に対して、適切な見方ができるかということ。



もちろん、事実を最適化できるほうがいいが、わたしたちは繋がりの中で生きているため、不都合な事実に直面することは回避できない。



だから、捉え方を最適化することも非常に大事になる。

 

 

是非いろいろなプレイを楽しんでいただき、芸の幅を広げていっていただけると幸いだ。

 

 

スマートフードサイエンス

 

人生を楽しみ尽くせる体づくり