人は頑張る。
仕事、家事、育児、趣味、起業、経営、介護、闘病など。
辛さを乗り越えた先に喜びがある。
だから辛くても頑張ろうと思う。
でも、それでも辛い時がある。
乗り越えられるかわからない厳しい状況に直面することがある。
そんな時、どうすればいいか。
自己愛を手放せばいい。
またよくわからない、、
と思うかもしれないが、難しい話ではない。
自己愛とはなにか?
から考えてみよう。
人は自分が一番かわいい。
その自分を愛する気持ち。これが自己愛。
自己愛は生存のために最も重要なアルゴリズムで、自分が一番かわいくなければ、簡単に死んでしまい、果てには絶滅してしまう。
裏を返すと、20万年も生きながらえている我々ホモ・サピエンスは極めて利己的であるといえる。
太古の昔から守り続けてきた、大事な自己愛を失ってしまったら、それこそ廃人になってしまう。
自己愛を手放すなど、自殺行為に近いのではないかと思うかもしれないが、
よく考えてみよう。
なぜ苦しいのか。
なぜ焦るのか。
なぜ不安なのか。
それが自己愛をテーマに考えてみると、結構カンタンにカタがつく。
人に負けたくない(=自分は常に素晴らしい人間で、他人なんかに負けるわけがない)
はずかしい姿を見せたくない(=かわいい自分が辱められるのは耐えられない)
自分だけはいい思いをしたい(=かわいい自分に辛い思いをさせるのは耐えられないから)
という欲求はすべて自己愛を守ることに起因する。
つまり、自己愛を守るために一生懸命頑張ることが辛いわけであり、もしも自己愛を守る必要がなければ、一生懸命頑張る必要もなくなり、苦しみから解放されるという算段。
じゃあ、恥ずかしい思いをさせろっていうの?
じゃあ、みっともない姿をさらしていいと思うの?
じゃあ、自己愛を守らなければ自分が傷つくわけで、傷ついたらもっと辛くない?
と思うかもしれない。
実は、
恥ずかしい思いをしても
みっともない姿をしても
自分がボロボロになっている姿が露呈されたとしても
実は他人は自分が思っている以上に何も感じていない。
他人はあなたと同じように、自分のことばかり気にしている。
だからこそ逆に、自己愛を捨てたとしても
ナチュラルに生きてるとか、
人間らしくていいとか、
捨て身になって素晴らしいとか、
失敗するのは当たり前とか、
ポジティブな評価を得ることのほうが多い。
辛い時の原因のほとんどは、自分が満たされないため、自己愛を守るため。
いわば自分の想像の中で自分を縛りつけ、自分で勝手に苦しんでいる状態。
もし、自己愛を失ってもよほどのマイナスの出来事が起こらないのであれば、
無理に頑張らずに手放してしまったほうがいい。
たとえみじめであっても
たとえ見た目がダサくても
たとえ不器用な方法だったとしても
たとえ気の利いた方法でなかったとしても
一生懸命自分を守って苦しむよりかは
できない自分でいて苦しまないほうがよっぽど幸せだも思う。
人間はいつでも不完全ですから。
人生を楽しみ尽くせる体づくり