おじさんが二十歳前、10代の後半の頃、古本屋で丸谷才一のエッセイ集を見つけ、その中に三好達治の『雪』という詩が取り上げられており、一目で記憶できたので覚えてしまった。

 

 

 それは次のようなものである。

 

 雪    三好達治

 

 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

 

 

というものだが、えっ、誰でも覚えられる? そうだろうね。

 

 

 おじさんが詩という物に出会った最初かな。いやこんな物詩じゃないよ、と言う向きには、芥川賞作家で翻訳家の丸谷才一が推していたことに加え、三好達治自身が当時既に世間で認められていた詩人であることを挙げておく。

 

 

 おじさん自身が衝撃を受けた事は言うまでもない。同時に、自分に詩才がないことを思い知らされもした。ただ、おじさんの詩的境地が唯一絶対の至高のものであり、他を一切認めないと云う偏狭なものではない。たかだか10代の無教養な男の一見解に過ぎない。

 

 

 丸谷はあずかり知らないだろうが、丸谷の鬱然とした知識と教養が多くの未来の詩人希望者や、将来の作家希望者を断念させた事であろう。

 

 

 連想の基点・原点、池上線から離れてしまったが、おじさんの連想・妄想は止め処(とめど)が無い。病気を経験したせいか、思考のブレーキ・ハンドルと思しきものが何処にも見当たらない。後遺症の一つだと、許されん事を願う。

 

 

by 考葦(-.-)