よく詩の意味を考えて歌えと言われる。この歳になって、感覚だけで歌ってたなとか、曲のノリに誤魔化されて歌ってたなと思う。

 

 

 おじさんは井上陽水が好きだったけれど、いま彼の歌を詩として読むと、理解不能だね。ただ、昔はポイントポイントで印象的な詩か旋律があり、飽きずに歌い続けていた。

 

 

 それはおじさんだけではなく、そんな感じで歌っていた人が多かったのではないかな。

 

 

 今、現役を引退し、年金を貰うようになってから、若い頃に読めなかった哲学書を読むという人の話を聞いたことがある。とても良いことで、時間と懐に余裕のある人には敢えて反対はしない。ちょっと羨ましいけど。

 

 

 おじさんも20歳前半の頃、頂いたヘーゲルや、入門書的な本を読み漁った事がある。カントなどは旺文社から出ていたので、比較的安価で手に入れることが出来た。 

 

 

 哲学的な学習環境には恵まれていたけれども、ものにならなかったのはご覧の通りである。ただ、いずれ読もうと思っていたのか、古本屋に行っては懐が許す限り『哲学書』を買っていた。

 

 

 哲学書は不人気だったのか、本の定価の1割以下の価格で手に入れる事ができた。ちょっとした数を揃えたけれども、何度トライしても物にはならなかった。

 

 

by 考葦(-.-)