いい年をして政治的な発言を語るのは止めようと思うのだが、参議院の小西氏の高市氏非難や、元大阪知事の橋下徹氏の「逃げろ」発言を聞くと、及ばずながら物を言わずにはいられない。
橋下徹氏
人生最高レストランより
おじさんは基本的に「保守」だと自分自身、判明したが、おじさんの青年時代は先輩・知人達の中に革新的な思想を学ぶこと、話す事はおしゃれで頭が良いことの証明だと思われていた。
当時はふ~ん、そうなのと思いながら、とっくに「優等生生活」とは縁を切っていたし、本を読むと言っても、そのころ話題の推理小説ばかりだったので、おじさんにとって読書は楽しみ以外の何物でも無かった。
小西氏や橋下徹氏は互いに主義主張は異なっても、自分が頭が良いことの証左が職業に反映されており、経歴にも明らかであると思っている。
でも、お二人の発言を聞いて、弁は立ちそうだけど、納得がいく発言は一つも無かった。
小西氏は立憲民主党的なブーメランを招きやすい発言で、橋下氏は維新の創立者であり、今は無関係の立場を貫いている様子だが、維新の候補者の思想の中に橋下イズム的な考えが潜んでいると思われ、どこか信用できない。
おじさんは丸谷才一を『中央公論』で読んだとき、かなり年配の旧仮名遣いというか昔ながらの執筆家が、近代仮名遣いを拒否しているのだなと思った。
ところが読むとすぐに違和感は無くなり、その後、著書に記されていた石川淳、福田恆存などを順次読み進めていった。
おじさんの本選定の基準は、面白いこと、面白そうなことだけだった。
たまたま当時は旧仮名遣い使用者が面白かったので丸谷才一を選んだし、その後、丸谷の著書から、石川淳、福田恆存と同じ旧仮名遣い派の人々を知り、その人々が書かれた著書からさらに輪を広げ、『ビルマの竪琴』の作者、竹山道雄へと広げていった。
その頃には、極端に言えば仮名遣いの違いなど、気にならなくなっていた。その代わり、これで無ければならないという窮屈なこだわりも存在しなかった。
by 考葦(-.-)y-…