左翼系にしろ反日系にしろ、有田芳生の言動に代表されるように、何故か姑息に日本及び日本国民を貶め、自分たちが妄想する世界へ近づけるべく活動している輩がいる。

 

 

 その理由はおじさんは分かっている。彼等は軍隊を認めようとせず、改憲に反対しているが、護憲派かと言えばそうではない。気に入らない条文があるのだ。それは第一章天皇の件である。

 

 

 左翼が名付けた天皇制は使いたくないが、国民の総意ではないし、象徴とも思っていないのだろう。帰化日本人の辻元清美がポロリと漏らした『気持ち悪い』という発言をそのまま使いたいと内心思っている連中は多いだろう。

 

 

 それを対抗上、不可侵な聖典扱いにして改正に反対している図は、

滑稽ですらある。

 

 

 彼等がそうする前提として、飽きもせず平和憲法があったから第二次世界大戦後、戦争が起きなかったのだという信念がある。専門家ならずとも普通の国民は、平和憲法があっても、軍事研究は怠りなくやっているし、何より自衛隊が片手を縛られながら防衛に努めてくれているからであり、日米安保条約があるからだと分かっているが、彼等はそれを認めない。

 

 

 自分が知らないことは「ない」ものと思ってしまうのも、サヨク・リベラルの特徴である。いや、自民の中にもそれに近い者がいないわけではない。しかし、野党はもっと国がやっている事柄を知らないから、知らないことによる「存在しない」ことが数多くある。

 

 

 それに基づいて、即ち、前提条件が不十分なまま考察するから、ペラペラの結論が導き出されるという訳だ。20代の初め、丸山真男がいいと言うので、何冊か読んだことがあるが、おじさんはどこがいいのか理解できなかった。論旨をこねくり回して難解にしているようにしか思えなかったのだ。こういう文体は、物事を理解していない人物が書く文章となんら差異が無い。

 

 

 確かに普通のマルクス主義者ではなく、思想家、哲学者と言えるのかも知れないが、その難解さは西洋の哲学者が自分の思想を説明する際の難解さとは違っていた。知の巨人といった評価も聞いたことがあるが、当時、おじさんは人生経験はなかったが、頭は冴えていたので、知の巨人の文章について行けなかった訳ではないと思っている。むしろ、こんな文章に心酔する人は文章の達人にはなれないと思ったくらいだ。

 

 

 論文は区々たる言葉ではなく、その内容だという人がいる。しかし、名文と呼ばれる文章は、複雑な物事を綺麗に理解させてくれる。つまり、書き手が工夫を凝らし、何度も書き改め、達意を心がけていることから生まれる文章の中で、筆力抜群なのが名文なのである。おじさんの定義に従うと、丸山の文章は内容以前の問題で落第である。

 

 

 丸谷才一は、様々な例を引きながら、『自分が頭がいいと思わせてくれるような文章』も名文の一つにと言っていた。理解が出来ないのは読む者が悪いという文体とは、天と地ほどの開きがある。

 

 

 学校のお勉強が良く出来た人が、必ずしも穏やかな保守的思想を持つに至るとは限らない。むしろ、逆にフェイク思想としか思えない思想や、ツッコミどころ満載の宗教に嵌(は)まり、性格が一変したように過激な行動に手を染めるといった事例が多い。それは、かつての過激派、オウム真理教などで立証されている。

 

 

 かつて革マルだ中核だとヘルメットを被っていた連中は、マスコミに就職した者も多く、そこにはかつて自分もそうだった先輩がいて「暖かく」迎えてくれたと推測する。

 

 

 そこではマスメディアとは何かとか、テレビ・ラジオに於ける放送倫理とは何かとか、小難しい教育などしなくても、マルクス主義を信奉するほどの優秀な人材なのだからと、日本はいつでも悪く、日本の過去は暗黒で、戦前もそれほど自由があった訳ではなく、戦時中の日本は最悪であったという点と、基本の唯物的精神さえ確認すれば、あとは大丈夫だという採用基準一本で事足りた。

 

 

 世界中で廃れてしまったマルクス主義が、東亜の支那と北朝鮮で生き残り、東の果ての島国でいまだに熱心な信奉者を抱えているという奇怪な様相を呈するに至っている。最悪の事例を間近に見ながら、見て見ぬふりで口を噤むマスコミの悪どさは、唯物的思想の故か。

 

 

 朝日新聞が打つキャンペーンは、人間を幸福にしたことがない。かつては北朝鮮が地上の楽園で、今は加計で国会の質疑の一部を敢えてカットし、自説の論拠に使うという卑劣な手法、これは報じないことの変形である。今や社内では当然の恥じることのない方法と誰も疑う者がいなくなったのか。

 

 

 記事を長い時間をかけて書いている内に、内閣が解散してしまった。支持率の向上と民進党山尾のダブル不倫で追い風と見たか。しかし、小池百合子――知事選ではおじさんも責任の一端を感じている――の肝煎りで『希望の党』が発足し、民進も解党云々と合流の構えで予断を許さなくなった。

 

 

 朝日、毎日さんはじめ数多存在する左巻新聞社は喜びを噛みしめているだろう。民社党政権の夢をもう一度という訳だ。今回も日本国民の民度が問われる選挙となりそうだ。加計問題も友人である理事長と何度も会う機会があったのだから、安倍に依頼したに違いないという下衆の勘ぐりが前提にある。依頼もせず、政治家と何十年も付き合うはずがないという訳である。

 

 

 国民もそこを理由に信頼感をなくし支持率が下がったけれど、そういう付き合いだからこそ長く続いたとは考えられないのだろうか。日本にはまだまだ立派な人物が存在する。愛国精神を有し、身ぎれいな人がいるのである。訳知り顔に「頼まなかった筈がない」と、邪推するのは自由だが、自分の器の範囲でしか人を判断できないという真理を思いだし、そういう付き合いもあることを知らなければならない。

 

 

by 考葦(-.-)y-~~~