以前にも「踏む絵」問題で、教科書を執筆している歴史学者連中のセンスのなさを書き、聖徳太子を教科書から消し去ろうとする暗い意図をもった学者をサイコパスと断定したが、ただ間違ってはいないという理由だけで変更を加える学者は、歴史が人の営みが生んだ絵巻物で、そこここに人間の感情がちりばめられている事を感得できない何かが欠如した輩である。
おじさんは歴史学者と小説家は殆ど同じだと思っている。決定的に異なるのは、小説家は常に人を念頭に置き、歴史の舞台に人を立たせ紐解き解釈するのに対し、歴史学者はその時代のその場所で、人々を動かすことが出来ない点である。
宮部みゆきが時代劇を書くとき、勝手に人が動きそれを書き写すだけだ、といった趣旨の事を書いていたが、宮部ほどではないにしろ、他の小説家も多かれ少なかれ、貴賤老若男女を問わず人々が空想の中で動き、感動し、怒り笑い泣いているはずだ。
文章力も無い発想も貧弱な歴史学者風情が教科書の言葉を変えるなど、思い上がりも甚だしい。
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by 考葦(-.-)y-~~~