ネット人士がこの問題につき、次々と情報を発掘している模様だ。まず、担任の女性教師の名前が特定され、写真が出回っている。自殺した生徒の人権は守られなくてはならないが、生徒の人権を考えずに自殺に追いやった虐めサド教師に人権など認めるわけにはいかぬという訳で、当然に出回るべくして出回った。
だいたいこんな事件には学校側の不正・隠蔽が行われるものだが、元の書類に記載間違いをしたのは別の教師のようだ。その点ではサド教師は無罪だが、だからと言って、この教師が許される訳ではない。誰か1年に誤記した教師の名前と顔写真も挙げるべきではないのか。直接の死因を作ったのは3年の担任だが、遠因はこの人物が作っている。軽い後悔で済むような話ではない。
不良行為を記す簿冊の無実の生徒の欄に、万引きと書いてしまったのが事の発端である。途中、会議の席で間違いに気付き、その場は真犯人に訂正して進められたらしいが、〝誰が訂正するかを決めていなかった〟為に、そのまま放置されてしまった。それは当時は1年時の素行不良は進路を決める際の参考にしないという取り決めになっていたからだそうだ。
ここに幾つもの問題点が見いだせる。まず、その会議を主導した人間が居るはずである。そいつが訂正しなければならない。次にその時点では進路の参考にしなくても、将来、参考にされるようになるかも知れないという簡単な予測が出来ていない。さらに、全くあずかり知らぬ人間に汚名を着せたまま放置できる〝先生方〟の神経を疑わなくてはならない。たとえ誰にも見られることなく、時間が来て廃棄されるものであったとしてもである。そして、おそらく万引きしたであろう生徒は見事〝推薦〟をもらって合格しているかも知れない。学校にそれを取り消す度量はあるのか。そちらの〝誤り〟も訂正するのが筋ではないのか。貴殿等の大好きな公平とはそういうことではないのか。
こういう人々が先生で御座いますという事実は、嘆かわしいというより胸が悪くなる。子供相手には知識と人生経験で言いくるめられても、一歩外に出るとそんな薄っぺらな理屈など木っ端微塵に打ち砕かれる。小中学校の先生と言われる人物で、まるで人間として成長していない人を時折見かけるが、いつも弱小の人間だけを相手にしているから、自分の成長も停止してしまうのである。
ここで一つ提案をしよう。貴殿等の仲間が何人寄って議論しても埒があかない。新2、3年生の各クラスから男女1名ずつ選んで、この問題について、何処に一番の問題があったか、誰がどうすべきであったかを議論させるのだ。
学校側は一切隠すことなく、求めに応じて資料を公開し、最初に間違えた教師、間違いに気付きながら放置した教師達、自殺の原因を作った教師を証言者として呼び、質問に答えさせるのだ。
当該女性教師が、本人が〝していない〟と明言せず、認めたような言動を吐いたと弁明しているが、名簿が名前順なら万引き生徒は1年時の当該生徒の一つ上か下に決まっている。1年で万引きするような生徒なら、〝順当〟に育てば学内でも有数の乱暴者に成長していたとも考えられる。自分が強く否定すれば、再調査が行われ、その生徒の推薦が取り消されるかも知れず、そうなればその報復がないとは言えない。恐怖を先取りして明言できなかった可能性がある。ひょっとすると、3年時も同じクラスだったかも知れない。もしそうなら、この担任は鈍感で間抜けすぎる。
だが、この〝事件〟は一人の愚劣な担任の責任として片付けるのではなく、まだまだ多くの隠された要因があると思われる。それらを洗いざらい出し尽くし、厳しい反省と二度と繰り返さないためのシステムを構築するのが不可欠である。大人同士の会議だと責任問題にすり替わりがちである。かといって第三者委員会という有識者を集めたところで、事前に予測されるような指摘しか為されまい。だからもっとも影響を受ける生徒にやらせるのである。
会議の内容については守秘義務を課せばよい。教師にも生徒にもまたとない貴重な経験になるであろう。教師とは何かを改めて考える機会にせよ。そして不適任と判断すれば、依願退職すればいい。そして最後に〝委員会〟の結論として文章に纏め、その書面を死んだ生徒の墓前に手向けるがいい。教師の百万遍の謝罪より供養になるだろう。
by 考葦(-.-)y-~~~