反日的人士の言動でときどき戸惑うのが、小学生の時代からあまり進歩していないことである。多く指摘され有名なのは平和憲法があったから第二次世界大戦(大東亜戦争)後、70年も平和が続いた、というものである。


 いやいや、それなら『核兵器廃絶』と書け、『交通事故絶無』と書け。それで世界から核兵器がなくなくなり、交通事故がなくなるなら貴殿の説を信じよう。『窃盗事件皆無』と書いて泥棒がいなくなれば、貴殿の説を信じよう。


 君が言うのと戦争とは違う。我が国の憲法には戦争を放棄するという崇高な理念が書かれている。戦争をしないと高らかに宣言することが重要なのだ。70年戦争がなかったのは、我々の崇高な理念を知った外国が尊敬して戦争を仕掛けられなかったからである。


 

『9条の会』のオフシャルサイト
大江健三郎・小田 実・井上ひさし・梅原 猛 etc
の呼びかけ人

 一体に、このような一見正しいようだが、よくよく考えれば誤りである類の論法を駆使する作家や評論家は多い。おじさんはこういう議論を『茶の間の正義』と呼んでいる。


 『9条の会』の呼びかけ人は、〝反日日本人の系譜〟にすでに入れた人、いずれいれる予定の人、入れる予定のなかった人で構成されている。9条擁護だからといって、必ずしも護憲・反日であるとは言えないので当然のことだが、澤地久枝、加藤周一は意外であった。梅棹 猛は保守論壇であまり見かけたことはないが、基本的に保守系の人だと思っていた。鶴見俊輔についてはさもありなん、であった。


 人間の作る物に完全なものはない。時代の推移、その時代の人間の考え方、科学の進歩等々が複合的に作用して、ある物を時代にそぐわないと見させるのである。憲法も然り、改正しないのがいいのではなく、細かく修正を加えて解釈に左右されたりすることなく、時代の実情に合う形にするのが理想である。


 一国平和主義ではなく、ボーダーレス、グローバルな視点で物事を見なければならない。そんな事を9条擁護派は言いがちだが、無抵抗で侵略者に国を投げ渡すという売国を、体よく言葉巧みにすり替えているようにしか見えない。ガンジー(ガンディー)の非暴力主義は、観念的には美しいかも知れないが、家族すら守れやしない。そして自分自身も守れずに暗殺に倒れた。



 現実の中で如何に民族を守り抜くのか。それが政治家の最大のつとめの筈だが、自民党とおおさか維新の会以外、国を守るという意識が欠如しているようだ。サヨクの人々は観念論に終始し、その甘さ弱さが外国からつけ込まれているのが理解できないようだ。むしろ、それを意識的に招き入れているかのように見える。

by 考葦(-.-)y-~~~