わたくし考葦おじさんは、絶望的な気分になると、日月神示の一節を思い出す。何に絶望しているかというと、アメリカのGHQの政策がいまだに日本を苦しめていることに対してである。憲法もさることながら、保守愛国者をパージして各所に左翼人士が就くのを黙認したのが禍根を残している。支那・朝鮮の三流人間の振るまいには少々耐性が出来ているものの、ロシアの北方領土への(ロシア)国民土地代無償誘致などの神経を逆撫でされる要素が加わると、人間が解決できる限界を超えてしまっているのではないかと、暗然とするのである。


 日本は世界の雛形であるとは、不思議好きの人々の間ではよく知られているが、これを最初に発見し唱えたのは神霊世界の巨人、出口王仁三郎(でぐち:おにさぶろう)である。


 此処で言う雛形とは相似形という意味であるが、我が国の国土の形状が、世界の大陸に比定できるというばかりでなく、日本で起きる事は世界で起きるという意味でも用いられているようだ。もっとも王仁三郎は大本(教団)で起きることは、日本ひいては世界で起きるということを〝型〟という言葉で表現していたと記憶している。


 もう少し丁寧に説明すると、【大本:日本 = 日本:世界】という型の事を言っている。大本が弾圧され建物等が破壊されると、同じ比率で日本が破壊されるというのである。一方、雛形は日本の何処かで災害が起きると、世界の何処かでスケールを変えて何かが発生するという考え方である。両者をミックスすると、大本 ⇒ 日本 ⇒ 世界と移って行くという訳である。


 大本は二度も政府から弾圧され、一つめの弾圧に対応する事象は第二次世界大戦と見られている。だがその後、完膚無きまでに破壊し尽くされた二度目の弾圧に対応する事象はまだ起こっていないと見なされている。


 また(古)神道には形代(かたしろ)、依代(よりしろ)という概念もあり、簡単に言えば、自分の身代わりに形代に不運・不幸・疾病などを引き受けて貰うものだ。憎む相手の形代として藁人形を作り、深夜にその人形に5寸釘を打ち込む〝丑の刻参り〟は、形代の悪用版である。


 今の日本を見ていると、日月神示に書かれている予言が当たる直前の様相を呈しているかのように見えなくもない。支那・朝鮮・ロシアという隣国、日本に巣くう在日という寄生虫、何処の新聞だと言いたくなるような反日メディア、その背景にいるリベラル・左翼人士――それらに共通しているのは、日本がなくなっても構わないという認識である。


 引用が的確かどうか別として、こんな預言がある。

上つ巻 第01帖 (001)
 いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労である。このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ、日本はお土があかる、外国はお土がさかる。都の大洗濯、鄙の大洗濯、人のお洗濯。今度は何うもこらへて呉れというところまで、後へひかぬから、その積りでかかって来い、神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。


第24帖
 富士(二二)を目指して攻め寄せる、大船小船あめの船。赤鬼青鬼黒鬼や、オロチ悪狐(あっこ)を先陣に、寄せ来る敵は空蔽(おお)い、海を埋めて忽(たちま)ちに天日暗くなりにけり。折りしもあれや日の国に、一つの光現われぬ。これこそ救いの大神と、救い求める人々の、目に映れるは何事ぞ。攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にドッと雨降らす。火の雨なんぞ堪(たま)るべき、まことの神は無きものか。
 これは堪(たま)らぬ兎も角も、生命(いのち)あっての物種と、兜(かぶと)を脱がんとするものの、次から次に現われぬ。折りしもあれや時ならぬ、大風起こ り雨来たり。大海原には竜巻や、やがて火の雨、地震(ふる)い山は火を噴(ふ)きどよめきて、さしもの敵も悉(ことごと)く、この世の外にと失せにけり。
 風 止(や)み雨も収まり、山川静まり国土(くにつち)の、所々に白衣(しろきぬ)の、神の息吹に甦(よみがえ)る。御民の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみ と、大空仰ぎ神を拝み、地に跪(ひざまず)き御民らの目に清々(すがすが)し富士の山、富士は晴れたり日本晴れ。普字は晴れたり岩戸(一八十)あけたり。

 尚、日月神示を本から書き写そうと準備しつつ、何方か当該カ所を写しておられる方はいないかと検索したところ、有り難いことに『黄金の金玉を知らないか?』なるタイトルののブログを発見したので、コピペ(レイアウトは変更)させていただいた。




続く