フランス国旗トリコロールの三色は、フランス革命の標語である自由・平等・博愛を表徴したものと、おじさんは習って記憶している。
だが少し考えると分かるように、自由と平等とは相容れない概念である。完全なる自由を追及すると限りなく不平等な社会が生まれ、完全なる平等を追及しすぎると限りなく不自由な社会が生まれる。博愛は二つとはまた別次元の概念である。
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革命当時の人々にどれほどの意識があったかは知らないが、国王を中心とする封建的な社会を変革する事が主目的であり、あとは革命が成ってから考えようといったところではなかっただろうか。
共産主義は経済学者であったマルクスが到達なさった究極の進歩的科学的思想から誕生したものとされている。まだおじさんが若い頃、共産主義は弁証法的唯物論を絶対真理とする思考法により生み出されたものだから、誤ることはあり得ないと言っている者も多くいた。所謂(いわゆる)無謬(むびゅう)主義というやつだね。
左翼とよばれる人々の書く言葉、話す言葉は、極めて解りにくい。平易簡明というおじさんの主義とまず相容れない。何回か読むと理解できるのかも知れないが、元々出発点がまったく異なるので、おじさんにとってそんな思想にかける時間はない。
居酒屋やスナックで口角泡を飛ばして、「資本論」がどうたら、アレを読んだか、コレの理解が足りないたらと熱く語るサラリーマン風の人々をよく見かけた。
ああいう文章を理解できるのがインテリであるというのが、おじさんの青年の頃の風潮であった。だからおじさんは一度もインテリであったことはないし、これからも永遠にないだろう。
だが、坊主が左翼的な言辞を吐く時がある。結局、僧侶というのは、食っていくための方便であって、仏教を信じてもいなければ、あの世を信じてもいないのである。
その左翼坊主は、髪を伸ばしても構わない宗派の坊主であり、遺族が拒否しても没年を西暦で書いてくる。おじさんが顔を出したときも、何の感慨も湧かない法話をひとしきりして帰っていった。まあ、天皇制につながる年号は使わないが、キリストの生誕を基準とした西暦は抵抗がないらしい。
この坊主は、第2次世界大戦の遺族の集まりである慰霊祭で話をして、あなた達は人殺しの遺族だと曰ったそうだ。一時期、場内は騒然としたという。こういう坊主に葬儀を執り行って貰っても、有り難くも何ともないし、神を信じ、死語の生存を確信するおじさんから言わせると、むしろ有害ですらある。
僧侶はその坊主の家系に継がせなければならないというものではなく、檀家が本山に申し出て追い出せばよさそうなものだが、もしかしたら髪を伸ばしてもよいと決めた宗派だから、本山自体も何やかやと屁理屈を設けて共産主義と折り合いをつけているのかも知れない。
思想に忠実なら、マルキストと僧侶は相容れない筈である。最高位に共産党があり、宗教・芸術・スポーツなどは、その下位に許されて存在するだけである。
本当の宗教家ならこういう言動はしないだろうし、本当の共産主義者なら、そんな欺瞞的生活をよしとしないだろう。おじさんが知るちっぽけな範囲の中での印象だが、僧侶のマルキストは意外に多い。弁証法的唯物論でどう折り合いをつけていらっしゃるのかは知らないが……。
by 考葦(-.-)y-~~~