カッチーニの『アベ・マリア』も、おじさんが衝撃を受けた想い出の曲だ。名曲であり且つ宗教音楽だからなのだろうか、バリエーションが多彩である。







 何時が最初だったかは忘れたが、意識にのぼったのは、長野オリンピックの開会式で、カウンターテナーの米良美一が歌っているのを聴いたときである。それまで幾度となく耳にしているとは思うが、鑑賞という気持で聴いたのはあれが最初だった。


 何度も聴いてみたいと思ったが、曲名だけは「アベ・マリア」という歌詞が聞こえたので、「アベ・マリア」かなと思っただけで、作曲者も分からない。

 二回目は、車のラジオに男の声でアベマリアが流れてきたときである。歌手の紹介もあったが、覚えきれず手がかりを失う。


 今のように、ネットで検索すると溢れるほどのアベマリアがヒットするような環境ではなく、どうしたら聴くことが出来るかは、次の偶然に賭けるしかなかった。


 次は偶々点けたテレビで、司会者が男性歌手を紹介し、アベマリアを歌って貰うという。この人が車で聴いた人物だったらいいなと耳を傾けていると、いきなり耳に飛び込んで来たのは高音の女性の声で、しかもあのアベマリアであった。車で聴いた歌はテノールというよりもう少し低い声だったから、明らかに別人だと思いつつも、知らずに引き込まれて行った。


 歌手の名前も覚えた。スラヴァである。曲のアベマリアという名は既に知っている。問題は誰のアベマリアかという事である。


 この頃には、数え切れないほどの作曲家がアベマリアという曲を創っている事を知っていた。何かヒントになる言葉か文字が出ないかと耳目をそばだてたけれど、残念ながら彼のコーナーは終わり、空しく次へと移っていった。


 おじさんは、もうごちゃごちゃ調べるのは止めて、スラヴァのアベマリアの入ったCDアルバムを買うことにした。検索すると、上手い具合にアベマリアばかり10曲ほど入っているものがあった。届いて早速、聴きかけたら、いきなりそれは来た。それでようやくカッチーニが作曲した曲だと判明した。


 どの曲も素晴らしかったけれど、何度も聴きたいと思うのはカッチーニの他にはなかった。馴染みのあるシューベルト、バッハ/グノーもスラヴァでは聴こうとは思わなかった。おそらく他のアベマリアは、スラヴァの高音域の声が強すぎて、おじさんの琴線ではなく、カンの方に触れたからだと思う。


 それはともかく、カッチーニのアベマリアは絶品である。辛いとき、哀しいとき、そして幸せなときも、それぞれに癒してくれること請け合いである。そうそう、ラジオの男性の歌手は、アンドレア・ボチェッリであった。


 今回はアンドレア・ボチェッリにしようか、Libera(リベラ)にしようか、それとも本田美奈子にしようか迷ったけれど、寺井尚子氏のバイオリンによる演奏を貼り付けてみた。仄かにジャズの匂いを纏ったものもいい。


 ちなみに、おじさんは葬式のBGMにカッチーニのアベマリアを流すように頼んでいる。はてさて実行されるかどうか、今、そっと貼り付けたYoutubeの音を出してみたけれど、反応が薄かった。忘れている公算大である。