誰にでも深い感情とリンクしている曲が、1曲や2曲は必ずあるはずだ。それはおじさんみたいな俗物の場合は、日本の流行の歌謡曲といったものが多いが、音楽に関わる吹奏楽部や合唱部に所属していた人や、専門家を目指して音楽学校に進学した人などは、クラシックのいずれかということになるのだろうか。あるいは映画が好きな人は映画音楽と言う具合に。


 おじさんぐらいの歳になって思うのは、強い感情の記憶と共に銘記された曲は、曲が引き金となって、その時の出来事が蘇るということだ。そして何よりほとんど色あせない感情と共に蘇る。それは必ずしも良い事ばかりではなく、むしろ深く心が傷ついた記憶の場合が多い。想い出したくない記憶というより、一瞬、懐かしさを感じたとたん、付随して想起するマイナスの感情、たとえば憎悪であったり、悔恨であったり、屈辱であったり、虚勢であったり、相手に与えた恥辱・裏切りであったり、取り返しの付かない贖罪の感情であったり……、その代表的な出来事は恋愛だろうか。


 若い頃の恋愛は成就しない場合が多い。その原因の多くは、お互いの未熟からくる。あるときは傷を癒し合い、あるときは仇のように傷つけ合う。そうして互いに成長するのだが、当事者にとっては自分なり相手なりが成長しているという実感はない。


 ボクサーのように相手の隙をついて、自分の正当性というパンチを叩きつける。やがて疲れ果て、腫れが引くのを待つ間、相手の膨らんだ瞼を見て、束の間反省し、謝罪しいたわる。そして何事もなかったかのように、そのまま事に及んだり、食事に出かけることだって出来る。いずれにしても、手抜きせず、全力でぶつかり、小さな何時か何処かで読んだ漫画か雑誌で覚えた駆け引きを駆使して、相手をより強く惹き付けようとするのである。


 この『ふたりの天使』という曲は、ダニエル・リカーリというソプラノ歌手がスキャットで歌ったものである。お聞きのように楽器のように正確無比な音程と声、そしてメロディーに胸を抉られたような衝撃を受けた曲だ。そしてそれを最初に聴かせてくれたのは、細くて小顔の髪の長い少女だった。


 ほぼ復讐を果たされ、最後は泥どろで別れたそんな種々の感情がフラッシュバックのように数十年経っても蘇る、今でも痛いと表現せざるを得ないような感情を伴い。好きだけど聴きたくない曲なのだ。未熟だったし、先に裏切った。どうか幸せで過ごしていて欲しい。