今日、喫茶店で最新号の『週刊ポスト』を手にとって目次を見ていたら、例によって朝日関連の記事が幾つか掲載されており、その中の吉田調書に関する記事を読むと、社内文書に担当記者が自慢げにスクープの裏話を書いていたようなのだ。


 おじさんは、朝日は体質的に反日じゃなければ記事を掲載しない新聞と考えていたので、ポストの記事は意外だった。二人の人間が懸命に読んであの結論にたどり着いたとしか考えられないからだ。後から応援に行った女性記者は、既に実績と定評のある一人の先輩記者が、丹念に黙々と資料を読み込む姿を見て、良い記事というのはこうして生まれるだと感動し、見習いたいという趣旨の事が書かれていた。  


 朝日の記者はいいとこの大学を出て、難関の入社試験を勝ち抜き合格なさった筈なので、一般的に頭の良い優秀な人材が揃っていると思われるが、その優秀な中堅以上の記者が二人がかりで読んで、間違った回答にたどり着くとは、これはまた別の問題を指摘しなければならないかも知れない。


 おじさんは仲間内の公式文書を読んだり書いたりする機会が多い方だと思うが、分量的にはA4サイズ1枚に収まる程度なので、論旨を間違えて解釈したりすることはまずない。


 つまり朝日的現象がおきるというのは、勉強が出来るおバカを採用しているからというしかない。

出典 MSN産経WEST



 過去にも組織が老朽化し崩壊するときには、必ず朝日的お馬鹿がトップから上部を占めていることが言われている。


 朝日の社是が反日だから、反日精神のおバカが出世する。基本的に彼らが好む反日方向へ向いて仕事をしている関係で、微妙なニュアンスを取り違えてしまう。


 そして、救いようがないのは、彼らが何処が悪かったのかを理解していないことなのだ。自分たちはエリートで頭は誰にも負けない、他の雑誌や右傾メディアの記者など、どうせ三流の聞いたこともない大学出に決まっている。読解力が彼らに劣っている筈が無く、自分の解釈が正しく、彼らの方こそ読み違えているのだ。だって、子供の頃からいつもいい点を貰っていたもの、という思考の流れが読み取れる。


 人情の綾とか機微というものを彼らは辞書で確認し理解したつもりになる。おじさんや皆さんは心で感じ、大なり小なりの心の痛みを乗り越えて、これが情の綾なんだな、これを機微というのか、と「綾」とか「機微」という言葉を知らなくても、現実や小説の中でそういう場面に出会ったら自然と理解するようになる。


 だから同じ小説を読んでも彼らがコラムなどで持ち出す場面は、おじさんはすっかり忘れている。記憶力がいいのか直前に読み直したのかは知らないが、とにかくおじさんは綺麗に忘れている。けれども、エッセンスは吸収して人生の何かに生かせていると思う。彼らは筋に拘り、どうでもいい解釈を披瀝しつつ、薄っぺらな何の感慨もない人生訓へと誘導する。


 上手く言えないが、詩を学校の授業風に解釈したら、肝心なものが抜け落ちていると感じるだろう? そういうことなんだ。彼らは詩をそのように読むと学び、文章もそのように読むと教わっている。


 だから、肝心要のエッセンスが抜け落ちるんだよ。凡人・俗人は誰に教わらなくても、上手く言葉に出来ないような、言葉にすると抜け落ちてしまうようなエキスをちゃんと汲み取っているんだ。筋なんかはすぐに忘れてしまうけどな。我々はおバカだけど、朝日的おバカじゃないから……。