そろそろあちこちから来年のカレンダーが届くようになった。
おじさんは50代だから、『冥土の旅の一里塚』という気持ちはまだ薄いが、死の訪れは何時来てもでもおかしくない。
これは一休禅師の短歌(狂歌?)だったと記憶しているけれど、歳に関係なく、いつも死出の心の準備をしておけ、という風におじさんは解釈しているが、ある意味、いつも死の事ばかり考えているというのも、苦しいと思うよ。
今、おじさんが伝えたいと思っている、『生に対するポジティブな気づき』と正反対のネガティブな歌のようだけれど、素直に読めば冷笑的な味がする諧謔(かいぎゃく)が感じられる。
そういったシニカルな笑いというのは、悟りを得た人が発すべきものとも思えない。畜産業で頑張る人を見て、殺すために育てている、というようなものである。
おじさんは、子供の頃から、すぐに上記のような感想を持つタイプの人間だったから、落語か何かでこの短歌を聞いた時、同じような人もあるんだと内心嬉しかったのを思い出した。
しかし、のちに長じて一休さんの歌だと知ったときには、仏門のあんたは駄目だろう、と言いたくなった。こういう感じ方もある、またこういう感じ方もある、でもすべては幻にすぎないんだよ、というべきなんじゃないのって……。
……でも、悔しいけど、うまい。
今、ネットで調べると、元旦と門松の二種類があった
門松(元旦)や冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
おじさんは50代だから、『冥土の旅の一里塚』という気持ちはまだ薄いが、死の訪れは何時来てもでもおかしくない。
これは一休禅師の短歌(狂歌?)だったと記憶しているけれど、歳に関係なく、いつも死出の心の準備をしておけ、という風におじさんは解釈しているが、ある意味、いつも死の事ばかり考えているというのも、苦しいと思うよ。
今、おじさんが伝えたいと思っている、『生に対するポジティブな気づき』と正反対のネガティブな歌のようだけれど、素直に読めば冷笑的な味がする諧謔(かいぎゃく)が感じられる。
そういったシニカルな笑いというのは、悟りを得た人が発すべきものとも思えない。畜産業で頑張る人を見て、殺すために育てている、というようなものである。
おじさんは、子供の頃から、すぐに上記のような感想を持つタイプの人間だったから、落語か何かでこの短歌を聞いた時、同じような人もあるんだと内心嬉しかったのを思い出した。
しかし、のちに長じて一休さんの歌だと知ったときには、仏門のあんたは駄目だろう、と言いたくなった。こういう感じ方もある、またこういう感じ方もある、でもすべては幻にすぎないんだよ、というべきなんじゃないのって……。
……でも、悔しいけど、うまい。
今、ネットで調べると、元旦と門松の二種類があった
門松(元旦)や冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし