平将門と言えば怨霊とか怨念話しで知られてますがそれは大きな誤解です。彼は名将であり、日本史上の稀有な人物です。昔から天皇家に叛旗を翻したら逆賊のレッテルを貼られて、歴史上浮かばれなくなります。足利尊氏などもそう。幕末の水戸学史観で見る恐ろしい弊害です。
将門公は地元ではいまだに威徳を慕う声を聞きます。化け物みたいに言う者はいませんね。彼は領地において善政を布いたのです。それに強かった。人情も厚かった。
彼が目立った最初のエピソードは叔父の平国香との戦。事の始まりは父から受け継いだ領地を断りも無く叔父に盗られ、一族を迫害されたこと。普通の人間なら当然怒るべきである。そんな当たり前な行動を起こしただけなのだ。それが元で叔父一族と抗争が始まり、しかし将門公は強かったってことなのだ。
威徳を慕われ担がれてしまった。威光を利用され、あたかも朝廷に逆らうかのように仕組まれた。『新皇』と称したのも自分の本当の意思だったかどうか分からない。まあ筋書きとしては面白いかもしれない。
彼は最愛の妻と子供を敵に惨殺された。怒り心頭である。最後の戦を起こした。圧倒的に強かった。しかし、一本の矢が彼の頭を貫いた。その後、敵どもが寄って集って彼に悪名を着せ、極悪人に仕立てあげた。死人に口無しである。
その後、怨念話しをデッチあげた。そう。将門公に対する後ろめたさがそういう恐れを生み、あたかも化け物の如く像を作り上げたのだ。
彼は英雄、名将でこそあれ怨霊でも何でもないのである。