昔、小学生の頃、英会話教室に行っていました。

色々な習い事をしていましたが、ふんわりとした雰囲気で、ゲームばかりして遊ぶ英会話は、私の中で一番好きな習いごとでした。今でも担当だった先生は大体覚えています。


今日バナナを食べてて思い出したのですが、そんな英会話教室でも、許されないことがありました。

バナナのことをバナナと言うことと、ペンギンのことをペンギンということです。正しくはバネーナとペングインなのです。



英語は好きだけど、頑張って話したら、発音を直されます。英語を習う上で、発音が一番嫌いでした。

学んでいくうちに、リーディングやライティングをしながら成果を実感できるボキャブラリーは、私にとってモチベーションを保つのが簡単でした。ライティングやリーディングは、日本語のそれとは違うので、楽しかったです。国語の授業で考えるような問題ではなく、アメリカを感じられる文章やトピックを見ると、異文化を感じ、独特の興奮がありました。未知の分野の文章を読むのも面白かったですが、ライティングを通じて、学びながら自分の考えを英語でうまく表現できるようになるのも楽しかったです。


もちろん、友達と話せるようになると、スピーキングが楽しくなりました。でも、いつになっても、思ったような言葉が出てこないことはあります。今でも大勢の前でスピーチをする時は、足がガクガクします。スピーキングにおいて、達成感と緊張感は、ほぼ同量です。これは、日本語でも同じです。最近スペイン語の授業をとっていますが、おそらくスペイン語でも同じだと思います。


当時の英会話教室では、バネーナもペングインも、ルールでしかありませんでした。守らないと怒られます。「別にいいじゃん」と思いましたが、先生の気迫に負けて、「なんかよくわかんないけど発音って大事なんだ!」と洗脳されていきました。

しかし、気づくと私は、この発音の差にとても感動していました。バナナもバネーナも同じものを表しています。ほぼ同じ音なのに、全然違って、少しの音の差が、こんなにも大袈裟に言われるなんて「🥺🥺🥺」と思っていました。日本語と英語、似ているじゃん!って思ってたのに、実はちょっと違う!!なんか面白い!!と小学生の私は思っていました。


英語を学んでいくと、様々な場面を通じ、様々な考えや文化に触れることが増えました。英語の映画や音楽を鑑賞するようにもなりました。英語の本に書かれている小学生と日本語の本に書かれている小学生は全然違いました。同じ音楽なのに。同じ小学生なのに。全然違うのです。アメリカ人と日本人の違うところって、見た目だけだと考えていましたが、こんなにも近いようで遠いのが外国なんですね。グローバル化は進んでいるのに、いまだに違いがあるのです。すごいです。

バネーナとペングインは、結局、私が最初に経験し、そして超えた言語の壁です。近いようで遠い。同じなのに違う。それが外国です。そしてこの距離感こそが、異文化理解に大切なのです。お互いを違うものだと思うと、どうしても摩擦が生じてしまいます。一方、お互いが同じだと思い込んでしまうと、お互いの異なる意見を受け入れることができなくなってしまいます。私たちの文化は、似ています。でも、同時にとても離れているのです。

バナナとバネーナ。ほぼ一緒じゃん!って思いましたが、違うのです。一音ずつはっきり発音する日本語と、滑らかに流れるように喋る英語との、大きな「違い」を表しているのです。

似てるけど違う。差は個性で、共通点は協調性なのです。

言語は文化について大事なことを教えてくれます。

似ているけど違う。

バナナとバネーナ、ペンギンとペングインはのちにこれに気づかせてくれました。

と、バナナを貪りながら思い出しました。


ちなみに、バナナはスペイン語でplátano です。

あれ???全然似てない…。協調性は…?

ティキタカ、、、しっかりしてくれ、、、

と、再びサッカーを連想してしまいました。