クリスチャンとかカトリックの方と言うか「聖書」を学んだ方でないと かなり重い映画
ではないかと言う印象。私はクリスチャンなので、楽しみに していた派でした。
(勿論、遠藤周作ファンの方もいいと思います。)
聖書にはイエスさまからのメッセージが。
2時間40分放映の中、1時間以上キリスト教徒の拷問シーンですから。 暗く重~いわけです。 棄教して日本人の妻もいると言う噂の自らの師フェレイラ神父。日本の 長崎にフェレイラを探し出して、真意を確かめにやってきた若きロドリ ゴ神父たち。 江戸の末期、キリシタンと呼ばれ、宣教師も信仰者も重罪をうけ殺され ていた時代。殉教者の痛みが地に染み込んでいた日本。苦痛の中、神に 祈るものの神は何も答えてくれない。まさにサイレンス。
自分が傷つけられるより、聖徒が痛みを感じたり、亡くなっていく処を 見せつけられる方が、棄教に繋がると江戸時代初期の武士たちは考えた ようです。その惨忍な状況をロドリゴ神父に見せて棄教させようとする んです。
(棄教って「自らの信仰を放棄すること」です。 これは自分の意思には関係なく、時代の背景 etcなどの理由で無理やり行うのです。)
「転んだ」キリシタン宣教師・・・あなたならどうしますか。毎日毎日拷問 されるたくさんの部下、死体になっていく部下が何人も何人も。でも、 神はサイレンス。自分で決断を下すしかないじゃないですか。 最も、み声が聞きたいときに、神は黙(もだ)してひと言も語られない。 これほどつらい、悲しい、虚しい、苦しいことがあるのでしょうか。なま じ信仰を持ったばっかりに、神の存在を知ったばっかりに、語ってくださ るべきお方が深い沈黙を守っている事に、人は耐えられないのです。 本当にその沈黙がどれほど辛いか。 「ヨブ記」のヨブも味わったように思います。実は、神はいつも隣りにいて くださっていた。・・・・ようです。