ルチャリブレが庶民の娯楽なら、闘牛は高貴な娯楽として親しまれている。


メキシコシティ観光もついに最終章。

スペインで時期がかみ合わず見れなかった闘牛をメキシコで見に行った。


メキシコシティにある、闘牛専用会場"Plaza de Mexico"は収容人数6万4千人で、

世界一大きな闘牛会場になっている。



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金曜日に見に行ったルチャリブレとは打って変わって、

ここに集まる人たちの出で立ちといったら、クラシックなお洒落を感じさせる。

マダムの手には指輪、男性はハット姿だったり、貴族のパーティーにそのまま出席できるような雰囲気。


いざ会場に入ると葉巻を吸ってる人や、西部劇に出てきそうな渋いおっさんがマタドールに大きな声で"見せてくれよ"とでも言わんばかりに期待を投げかけている。


遅れて闘牛場に到着して、着いたときにはすでにもうマタドールが闘牛をいなしていた。

円盤型の会場、座席の作りにかなり角度があるため、よく声が反響して中心にいるマタドールへの注目度も否応なし高まる。上から見下ろす迫力がすごい。


多くの人が持つ闘牛のイメージは、マタドールが赤いマントを使って華麗に突進してくる牛をかわすところにあると思う。その場面は見せ場だが、その前には牛にダメージを負わせて弱らせるという行為があること、さらに最後にはマタドールによって牛を剣で突き刺して殺すという行為があるということを忘れてはいけない。



闘牛の流れをざっくり説明すると、


→ ファンファーレとともにスタートの合図


→ 超元気な牛がよだれを垂らしながら会場に姿を現す 


→ 2~3人の男たちがピンクっぽい色の大きな布を両手で持ちながら牛の突進を促す

  (危ないので突進されたら人一人通れる壁の奥に隠れる)


→ 完全プロテクトを施された馬に槍を持った人がまたがって現れる。

  (とりあえず馬は牛に超ビビッて後ずさりしまくっている)


→ 牛が馬に突進したのをいいことに、槍でザクザク突きまくって牛にダメージを負わせる。

  (牛にあんまりダメージを追わせるな!といわんばかりに会場からはブーイング)


→ 先端が鋭利な白い棒のようなものを両手に持った人が現れ、突進してくる牛の背中に鋭利な棒を突き刺す。

  (これを三回繰り返して、元気すぎる牛にダメージを追わせる)


→ そしてついに拍手とともに真っ赤なマントを持ったマタドールが登場



つまりマタドールが登場するまでに、牛はかなり弱らせて流血させてから、

マタドールの華麗な牛さばきがみんなは期待しているメインの状況を作り出す。


時間とともに弱りながらも興奮状態の牛をコントロールして、

如何に接近した状態で如何に美しく、連続して牛をいなすかが、マタドール最大の見せ場のよう。


マタドールの立ち振る舞いも勇敢さと余裕を感じさせるものでなければならないらしく、自分の後ろに赤いマントを持ってきたり、突進する気満々で砂埃を巻き上げる牛にゲキを飛ばしたりしている。


マタドールのマントさばきが決まると、会場からは「オーレー!」「オーレー!」の掛け声が響き渡る。

そして連続で決まった後には大拍手。


う~むプロレスとはえらい違い。




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これは、動物対人間のSHOWで、どれだけ美しく華麗に振る舞えるかがすべて。

それは、流血が激しくなって足元がふらついてきた牛に刺すとどめの一発に対しても言える。

最後には剣を構え、牛と対峙、突進してくる牛の背中の急所に一気とどめの一発を突き刺す。



このとき、コロッと倒すのが美しくて、もがいてしまうと美しくないという感覚。


最後にマタドールが会場に挨拶をしたときに、お客さんが白いハンカチを振っている。

これはマタドールに対して牛の耳の褒美を与えることを主催者にアピールするもの。

そして闘牛士にとって牛の耳の数は一種のステータスになっているらしい。


結構、観客の目もシビアで、ほぼみんなが拍手して白いハンカチを振っていると思えば、人差し指を左右に振って「そんなんじゃダメだ」とアピールしている人も結構いる。


理想が高い。


見る側もプライド高い。


牛はヒール(悪役)、そんでマタドールはヒーロー。

みんなが期待したSHOWを見せてこそ価値がある。

結果がわかってても、ヒーローが華麗に勝ってくれればいいっていうところはルチャリブレも闘牛も一緒かな。


こういう構図が好きだね~メキシカンは。



日常生活で大きな動物が死んでいく瞬間を目にすることはほとんどない。

それが、何万人も入る闘牛場でしかも、一つの演劇のように見る文化には賛否両論があるのも確からしい。

とくに発祥のスペインでは、野蛮だ!ということで廃止する運動すらあるが、メキシコではそういった類の批判の雰囲気すら感じないのはなんとも皮肉に感じる。


文化は入ってきたけど、人の気質と土台は違いすぎるが故にだろうか。

どくろを前面に押し出す文化がある国では、どうにもなくなりそうには感じない。


華麗さと生々しさが同時に繰り広げられる闘牛。

生々しいが故にマタドールの動きが華麗に見えるのかもしれない。


どちらにしてもここでも正義と悪の構図に見えてしまうのは気のせいでしょうか?



繊細さよりも鮮明さを求めるっていうのがラテンの気質なのかこれから見ていきたいね。