2009年1月22日、大きなバックパックを背負って一人夜のシンガポールに降り立った。
そして、それからちょうど1年6ヶ月後の2010年7月22日、再び日本の地へ。
期間 : 1年6ヶ月
訪問国数 : 34ヶ国 (アジア12ヶ国、中近東4ヶ国、ヨーロッパ3ヶ国、アフリカ15ヶ国)
宿泊場所 : 135ヶ所
飛行機利用: 12回
病院 : 3回
何もかも初めてづくしだった旅。
初めての陸路国境超え、初めて聞く挨拶、初めて食べる料理、初めて感じた宗教の壁…
アジアから中東、一部ヨーロッパ、アフリカに到達するまでの間、少しずつ変化していく文化、人種、生活習慣にいちいち感動して驚いていた日々。昔テレビで見た映像や教科書で見たものが、リアルタイムで目の前にある事の感動。そして、自分がその場にいるという達成感。
旅が長くなることで受けるマンネリ化や新鮮さの欠如などは、少しの休息と新たな地へ移動することですぐに戻ってきた。本当にやりたかった事だったからこそ、それで十分だった。
必要最小限の情報だけを頭に叩き込み、その土地の流れに逆らわず、理不尽なことに逆らう旅路。
楽しい事だけじゃないからこそ、見直され変化していく自分の価値観、判断基準。
国が変わればルールも常識も変わる。
その中で作りあげ、なんとか保つ自分だけのルール。
コンクリートよりも土の道を好み
そこに住む人たちと同じもの食べ
地元の人で一杯のバスで移動し
最も安い宿のベットで休息
はじめの頃、とにかく"世界遺産"という響きに飛びついていた。
旅が長くなっていくにつれ、徐々にそこに"当たり前"にある日常的な何かから発見できるちょっとした変化に目がいくようになっていった。
新しく近代的な建物より、昔と変わらず町と同化したようなくたびれた建物に惹かれ、
複雑なものより、シンプルなものに目を奪われ、
なんでもない生活道具にアートを感じ、
飾らない姿に不思議な魅力を感じる。
足が震えてしまうほど怖い場面に遭遇することもあったが、日にちと移動を重ねるごとに、ほんとに危険な状況や空気ってものが自分なりに感じ捉えられるようになった。
ほんとに怖いことは物質的な何かを失くすことでもないという事も。
いろんな事に慣れながら、周りをキョロキョロして真似しながら、精一杯順応していった。
歴史・宗教・民族・言語・教育、
どれか一つ違うだけでそこに住む人々が持つ共通の価値観が変わる事を知り、
旅行者が現地の人の振る舞いやメンタリティに影響を与えていることに確信を得、
時に逃げることは、逆に大きな危険を招くということや、
主張しなきゃ何も変わらない事に気づかされた。
目まぐるしく変化していく状況や光景。
その変化し動き続ける中で、もしかしたら一生接することがなかったかもしれない人達や自然と同じ時間を共有し、そこに自分がいるっていう現実にとにかく興奮していた。
そして、イメージと現実の間にあるギャップの激しさ、どこかからいつの間にか植えつけられた知識の曖昧さに気づく度、自分の目で確かめる意味を見出せていった。満足のハードルはどんどん上がり、ただ楽しいって事よりも、よりリアルなもの、ピュアなものに触れたときの気持ちの高ぶりは増すようになっていった。
オーストラリアの滞在も含めれば丸2年の放浪。
会社員を辞めて2年半。
こんな短い期間の離脱でも、日本の社会的な視点から見れば、特に大きな意味を持たない行動だろう。
ただ、この先自分の背中が丸まってくるにつれて「あの時好きなようにやれて良かった」と、思うに違いない。
ほんとは何も特別なことはなくて、少しの蓄えと時間さえ作れば誰でも出来ること。
その一歩を踏み切る気持ちがあったかないかだけだと思う。
まだまだ27歳。
強烈な刺激にまみれ、いろんな常識がぶち壊れた1年半。
この何事にも代え難い経験を自分の中で落とし込み、違った形で膨らましながら仲良く付き合っていこうと思う。
自分の世界を広げてくれた34ヶ国と、その他国籍を持つ人たちとの出会い感謝。

受け入れてくれた人たちに…………
thanks
トゥリマカシ コップンカップ オークン カムオン コプジャイライライ
謝謝 ダンニャバード ドンノバット
シュクラン トダラバ テシュキュル ブラゴダリャ グラシアス メルスィー
イニチェ ジュルジュフ アムサグナーロ アサンテサーナ ムラコゼチャンネ
ズィコモクウァンビリ ナトレラ マズビタ ンギヤボンガ
凄まじいペースで繰り返される出会いと別れの中で、少しでも何かを共有できた人達に感謝。
幸せな旅でした。
さてと、次は何面白い事すっかな!!
そして、それからちょうど1年6ヶ月後の2010年7月22日、再び日本の地へ。
期間 : 1年6ヶ月
訪問国数 : 34ヶ国 (アジア12ヶ国、中近東4ヶ国、ヨーロッパ3ヶ国、アフリカ15ヶ国)
宿泊場所 : 135ヶ所
飛行機利用: 12回
病院 : 3回
何もかも初めてづくしだった旅。
初めての陸路国境超え、初めて聞く挨拶、初めて食べる料理、初めて感じた宗教の壁…
アジアから中東、一部ヨーロッパ、アフリカに到達するまでの間、少しずつ変化していく文化、人種、生活習慣にいちいち感動して驚いていた日々。昔テレビで見た映像や教科書で見たものが、リアルタイムで目の前にある事の感動。そして、自分がその場にいるという達成感。
旅が長くなることで受けるマンネリ化や新鮮さの欠如などは、少しの休息と新たな地へ移動することですぐに戻ってきた。本当にやりたかった事だったからこそ、それで十分だった。
必要最小限の情報だけを頭に叩き込み、その土地の流れに逆らわず、理不尽なことに逆らう旅路。
楽しい事だけじゃないからこそ、見直され変化していく自分の価値観、判断基準。
国が変わればルールも常識も変わる。
その中で作りあげ、なんとか保つ自分だけのルール。
コンクリートよりも土の道を好み
そこに住む人たちと同じもの食べ
地元の人で一杯のバスで移動し
最も安い宿のベットで休息
はじめの頃、とにかく"世界遺産"という響きに飛びついていた。
旅が長くなっていくにつれ、徐々にそこに"当たり前"にある日常的な何かから発見できるちょっとした変化に目がいくようになっていった。
新しく近代的な建物より、昔と変わらず町と同化したようなくたびれた建物に惹かれ、
複雑なものより、シンプルなものに目を奪われ、
なんでもない生活道具にアートを感じ、
飾らない姿に不思議な魅力を感じる。
足が震えてしまうほど怖い場面に遭遇することもあったが、日にちと移動を重ねるごとに、ほんとに危険な状況や空気ってものが自分なりに感じ捉えられるようになった。
ほんとに怖いことは物質的な何かを失くすことでもないという事も。
いろんな事に慣れながら、周りをキョロキョロして真似しながら、精一杯順応していった。
歴史・宗教・民族・言語・教育、
どれか一つ違うだけでそこに住む人々が持つ共通の価値観が変わる事を知り、
旅行者が現地の人の振る舞いやメンタリティに影響を与えていることに確信を得、
時に逃げることは、逆に大きな危険を招くということや、
主張しなきゃ何も変わらない事に気づかされた。
目まぐるしく変化していく状況や光景。
その変化し動き続ける中で、もしかしたら一生接することがなかったかもしれない人達や自然と同じ時間を共有し、そこに自分がいるっていう現実にとにかく興奮していた。
そして、イメージと現実の間にあるギャップの激しさ、どこかからいつの間にか植えつけられた知識の曖昧さに気づく度、自分の目で確かめる意味を見出せていった。満足のハードルはどんどん上がり、ただ楽しいって事よりも、よりリアルなもの、ピュアなものに触れたときの気持ちの高ぶりは増すようになっていった。
オーストラリアの滞在も含めれば丸2年の放浪。
会社員を辞めて2年半。
こんな短い期間の離脱でも、日本の社会的な視点から見れば、特に大きな意味を持たない行動だろう。
ただ、この先自分の背中が丸まってくるにつれて「あの時好きなようにやれて良かった」と、思うに違いない。
ほんとは何も特別なことはなくて、少しの蓄えと時間さえ作れば誰でも出来ること。
その一歩を踏み切る気持ちがあったかないかだけだと思う。
まだまだ27歳。
強烈な刺激にまみれ、いろんな常識がぶち壊れた1年半。
この何事にも代え難い経験を自分の中で落とし込み、違った形で膨らましながら仲良く付き合っていこうと思う。
自分の世界を広げてくれた34ヶ国と、その他国籍を持つ人たちとの出会い感謝。

受け入れてくれた人たちに…………
thanks
トゥリマカシ コップンカップ オークン カムオン コプジャイライライ
謝謝 ダンニャバード ドンノバット
シュクラン トダラバ テシュキュル ブラゴダリャ グラシアス メルスィー
イニチェ ジュルジュフ アムサグナーロ アサンテサーナ ムラコゼチャンネ
ズィコモクウァンビリ ナトレラ マズビタ ンギヤボンガ
凄まじいペースで繰り返される出会いと別れの中で、少しでも何かを共有できた人達に感謝。
幸せな旅でした。
さてと、次は何面白い事すっかな!!