シルバーバックに会ってからというもの、燃焼し過ぎて力が抜けた日々。
3週間ぶりに日記更新していこうという気持ちになりました。
さてさて、
ルワンダ滞在2週間が経過後、ここからは帰り道。
とはいえ、飛行機でルワンダから日本への直行便などあるはずもなく、
なお且つここから大金をはたいて飛行機で向かうこともなく、とりあえず南下を試みる。
登山をしても下山があるように、
目的を果たしたからって"はい、終了!"ってなわけにもいかんのだね。
アフリカ脱出ルートとしては、ここからブルンジを通ってタンザニアに抜けて、
タンザニアの西の端Kigomaから東の端にある首都ダルエスサラームまで一気に抜け、
途中ザンジバル島に寄り、またナイロビを目指す。
そこから、徐々に日本を目指そうかなと。
帰国までまだ時間かかりそうだな、こりゃ。
27日、ついにルワンダ出発の朝。
すでにチケットを取っていた大手のバス会社Kampara Couchの手違いでバスに置いてかれる。
こんだけサービスが整備されたルワンダでもこういうことがあるのが意外だった。
相変わらず厳しいね。
お金を返してもらい、料金が少し高い別会社のバスを手配してもらう。
ぶつくさ文句を言われながらも、当初の予定より超過した料金を負担させ、狭いミニバスに流れ込む。
アフリカでもバス乗車ルールでちょいちょい分からないことがある。
この時もそうだったが、
なんでバスが満員になって出発待ちの段階まで来たのに、
新たに到着したミニバスに乗り換えなきゃならんのだろうか。。。
しかも、長い間待ってていい席を確保していた人も、
ツルの一声でまたイス取りゲームしなきゃならん。
乗車率100%ではだめなようで、120%でやっと出発ってか。
サービスはいつだって受ける側より与える側のほうが強いのね。
さて、そんなこんなでキガリを出発して数時間後に国境に到着。
ルワンダ全く問題なしで突破。
見たことない旗が風に揺られるブルンジ側。
トランジットビザをもらうべく係員に20$を渡すも、"古いからダメだ!他の探せ!!"と言われる。
この辺りの地域で特定の手続きの際には、
発行日が古い米ドル札(恐らく2000年以前)を嫌がることもあるらしい。
特に文句もいわず素直に新しい紙幣を渡すと、3日間のトランジットでスタンプが押された。
まったく情報も印象もない国、ブルンジに入国。
ほんとになんもわからん。
バスの中で仲良くなったブルンジ人の話によると、ここではフランス語がいまだメインで。
英語は一般人にほとんど通じないらしい。
ルワンダのようにゴミの制限はなく、国境を超えた瞬間からストリートチルドレンがバスに群がる。
なんとなくブルンジのくたびれ方を見ると、これがアフリカの標準的な光景で、
ルワンダはまるで"陸の孤島"のように飛び抜けて整備が進んでいると感じさせられる。
アフリカに行ってきた! と言っても、
こうも違ってしまえば、"アフリカ"という単語一つで表現するのはあまりに難しすぎる。
国境でライスと赤ぽいソースだけがかかったご飯で腹ごしらえをし、再びバスに乗り込む。
外の景色に目をやると国境など関係なくルワンダに続き相変わらず濃すぎる緑。
そして、バナナの木々。
家の屋根には以外にもアジアを感じさせる瓦屋根。
そんなのんびりした光景とは対象的に道行くアフリカママの服装は
ど派手な蛍光色の赤!緑!!黄色!!のMixされた布を纏っている。
遠くからでもすぐわかるこの統一感の無さが大好きです。
山間の蛇の道を進んでいくと、正面衝突した車同士、脇道に転倒した車などなど、
国境から首都までのわずか2時間足らずの道のりで、
自分が通った時だけで4台もそんな事故車とすれ違った。
そしてその前日にはガードレールもない崖の道から転落したツーリストバス。
日常的にあってはいけないことが日常的に起きてしまう殺人的なバス移動に冷や冷やさせられる。
危うい道を通り、ブジュンブラが近づいたころ、
高台を走るバスから突然ビックリするくらい開けた絶景、大絶景!
湖のとなりに出来たブジュンブラの町と、
盆地を縁どりしたように連なる山々、そして湖の向こうにはコンゴ側の山。
無理だ。文章ではおれの能力では表現できん。
ただ、アフリカの真ん中に来た!という感覚と、
突然現れた文明のコントラスト、ギャップがすごかった。
もうここを通ることはないだろうなあ、と思いつつ恐竜の出そうな景色を目に焼付ける。
ブジュンブラに着くとバスの中でもずっと話していた、日本にも来たことがあるブルンジ人に手伝ってもらい宿にチェックイン。
彼から教わったブルンジの心得は、"カメラを出して歩く時は要注意、タクシーの運転手だろうと信用するな、荷物を含め狙われていると思った方がいい"など。
まあ、いつも思ってることね。
よく分からない国ブルンジのよく分からない首都ブジュンブラ。
歩いてみるといつも通り、意味もなく人で溢れかえった町。
チーノ、チャイナを連呼してくる人、親切のついでにお金を要求してくる人、ただ黙って見てくる人。
まあ、昼間の人的には特別新しいことはないかな。
割とフレンドリーではあるけども、みんな極悪だとも、みんないい人とも思わない感じ。
町は意外にも大使館がたくさん(日本はない)。
そして、歴史的な建物は見当たらなく、意外にも新しい建物が目立ち道路もしっかりしている。
中心部にはネットカフェ。
旅行者には厳しいフランス語のキーボード("A"の位置が左上に移動してる)。
なんかこの発展の仕方はルワンダっぽいような。。
そう思いながら、ブルンジに住んでいるルワンダ人と話す機会があった。
彼曰く、5年前まで国が大荒れで、ミリタリーが虐殺を繰り返していたらしい。
外国人は当然として地元の人も虐殺の恐怖に脅えながら生活していたという。
ちなみに国境から首都まで行く道ではゲリラが潜伏して通る車に乗っている人を殺していたらしい。
信じられないけど、たった5年前まで。。
5年前だと首都を歩いているおれは、もう生きてはいないらしい。
歴史から見ても、発展の仕方をみてもここはルワンダの後に追っ掛ける発展の仕方。
でも、この国の強みがなんなのかはお札を見ても、町を歩いてもなんにもわからんかった。
トランジットでたった3日間だけの滞在だったので、急ぎ足でタンザニアに抜けるチケットを手に入れ、コンゴに面した湖に向かって歩いている時、偶然同じバスでブジュンブラinしたブルンジ人Amuriと再会した。
英語堪能の気さくなAmuriは、アフリカにおけるビジネスについて話し合った。
日本に来たことのある彼の話は、その内容が過剰でも過少でもなく聞こえるので面白かった。
「知ってるか?
コンゴにいる白人はめちゃくちゃな国を再建する手助けをするとか言って、実は格安でCongoに眠るダイヤモンドとゴールドを仕入れてビジネスをしているんだ」
「アフリカにとって日本で捨てられている車のエンジンや中古のあらゆるパーツは大きなビジネスになるんだ。日本で10年間使われたものですら、こっちでは新品同様なんだ。もしコンテナに中古の日本の山に捨てられているような車のパーツ、エンジンが届くだけで人生が変わるんだ。」
「ガーナ人の友達は日本でゴミ集めをしてアフリカ送ってお金を稼いで、ついにはガーナにプール付の豪邸を建てたんだ。どんなものかって? なんでもさ。日本人がよく捨てるビニール傘だって拾えばここじゃ金になるんだ。」
そんなアフリカの実情と日本におけるギャップを話しながら、彼の兄妹の家にお邪魔してごはんをご馳走になったり、いっしょに病院へ彼の知り合いの御見舞いに行ったりした。
難民キャンプみたいな病院。
お医者さんの給料が月たったの50000ブルンジフラン、40$以下。
なので、医者はここより給料のいいルワンダに逃げていくという。
こういうとこに来ると、改めてちょっとくらい旅してようが、
知らないことばかりだと痛感させられる。
彼とはたった1日だけ行動しただけだったけど、ほんと刺激的だった。
ローカルのお土産物屋に連れていってもらったとき、何を勘違いしたのか俺がまるで日本から来た大手の買い付け屋だと思われてしまい、ひっぱりだこで土産物屋に連れ回された。
破れたTシャツを着てるのにかかわらず、何故かおれも調子に乗ってその気になって、メモ帳に価格表をつけ、商品の写真を撮りまくっていた。うーむ。。悪い気はしない。いっしょにいるAmuriが通訳になって市場調査。ついにはそこにある商品にダメ出しをして、勝手なアイデアをレクチャーするほど。
おいら何者?
次に車パーツ屋で市場調査。
ここでもAmuriが通訳となって偉そうに店の人に質問。
「これはどの国から輸入している?」
「仕入れ値はいくらで売値はいくら?」
「買い付けのコネクションはどのように獲得している?」
「買い付けのルートは?」
「どのくらいの頻度で売れる?」
「在庫はどの程度ある?」
おれなにもの?
でもせっかくだから本気でいろいろ聞いてみると、向こうも本気で教えてくれる。
横でAmuriが熱心に説明&通訳をしてくれるっていうのもあるけど、ぼろ服を来ていようとも日本人というだけで真剣にビジネス相手として見てくる。おそらくこれが中国人でも同じだろう。
話を聞けば聞くほど、インド、パキスタン、そしてドバイの存在の大きさが浮き出てくる。
知らないところであらゆるものが流れている。
なかなか刺激的な時間でした。
会社で受ける新人研修の100倍タメになる話ばかり。
そんな旅行とは一味違った時間をブルンジで過ごし、南下してタンザニアへ抜けるのであった。