<奥に見えるのは宿泊宿の外観、そしてまだ現役の車>
アフリカ最初に滞在した町・ヌアディブ。
ざっと目にするだけでアフリカン7割、アラビック3割の割合で町が形成されているように見える。
モーリタニアの国教はイスラム教。
ここで主に話される言語はアラビア語とフランス語。
大きなメインとなる通りを宿から10分ほど歩くと、段々と町が開けていき、
小型のスーパー・八百屋・ネットカフェなどが出現する。
(最初に行ったネットカフェのスピードの遅さは、過去最低速度)
<こんな感じの店で買い物。何故かお客さんと店員の間にネットの仕切りがある>
すごいとこに来てしまった。
基本的な商店の規模は非常に小さく、品揃えが豊富と言えるのはアラビア系の人が経営している
小型スーパーマーケットと問屋風の店のみで、基本的に購入できるものの選択肢は狭い。
そして、それらの中規模スーパーや問屋、
機械関係など利益が見込める主となる商いはアラビア系住民主導で行われている。
誰が歩いてもわかるだろう、アラビア系住民とアフリカンとの間にははっきりとした力関係がここにはある。
<家の前でヤギを吊るし切っていた>
一本道をそれると、劣悪な環境で暮らす人たちの姿がある。
はじめ見たときには、そこはスラムのようにすら見えた。
錆びれきった屋根とゴミだらけの庭‥‥。
新しく出来た何かを探すなんて不可能。
そんな景色が散らばる道を少し緊張しながら歩いていた。
すると、明るい声が聞こえる。
元の色がわからなくなっているほどボロボロの服をきている子供達が、
ゴミが散らかり、ボッコボコの広場で、完全に空気が抜けきったサッカーボールを追いかけている。
まさに不敵。
子供達が笑顔なもんで、足元に散らばってるゴミすら一瞬ただのゴミではなく、カラフルに見えるほどだった。
サッカーは世界を変える力ありだわ。
ただもちろん、見るからに生活は厳しい。
集落の合間を歩いていて、子供が持っていたボールでパス交換をしようとジェスチャーしたら、
その子は真顔で何も言わずジッと見つめながら手を出してきた。
誰が教えたのか、見て覚えたのか、物心ついて間もなくの子もそうしていた。
アジアとはまた違う背景からか、同じシチュエーションでも受ける印象が違う。
<現在修理中の車>
印象が違うといえば、やっぱり植民地支配による影響が大きいと思う。
その最たるものは、やっぱり『言葉』、フランス語。
旅してて思うのは、言語ってのは、その国の文化も乗っかってるって事。
日本語で「いいえ」で断るときの決まり文句がたくさんあるように、
フランス語にも国民性を作るような言葉の"あや"がたくさん隠れているはず。
極端なことを言えば、
旅をしていて、自国語を話しているときと英語を話しているときで性格が少し変わっているような人もいた。
そして、言葉に続き『食』。
数少ない商店の合間にはフランスパンのベーカリーに人がごった返していた。
ちなみに焼きあがったフランスパンの中身はスカスカ。
ある時、見た目がくたびれた外観と『RESTAURANT』の文字があったので、中に入ってみるとビックリ。
ナイフとフォーク、グラスが綺麗にセッティングされ、
日本でもほとんど行った事ないような高級フレンチレストラン風の雰囲気だった。
外はくたびれ、中はキラキラ。
とてつもないミスマッチ。
無理にそんなんしなくても‥‥
レストランと名乗るならば、フランスのレストランと同じレベルでの意識なのか。
なんたるアンバランスさ。
ここでは、しっかりしたレストランはあっても、
アジアのように気軽に食事できる場所は発見できなかった。
これをフランス文化と呼んでいいのかはわからないし、
そもそもフランス文化なるものを完全に理解できていないからなんとも言えないが、
少なくともヨーロッパ風な意識が入り込んでいるのは確かだろう。
どこに言っても食や食堂で、その国のもつ独自性に対して微かな驚きはあっただけに。
『言葉』と『食』
これは、人の思考を作る上で切りはずせないものだと思う。
生活リズムを整える食生活、そして言葉。
それらに依存している感覚は、刷り込まれた意識下にあるだろう。
食が思考と体のベースを作り、言葉で表現し伝える。
その積み重ねが歴史となって文化を創っていく。
果たしてモーリタニアで、独自の何が発見できるか。
植民地支配を超えて、今なお残るアフリカンカルチャーに触れられるか。
どこまでアフリカは自分を映してくれるか。
アフリカの旅はここからスタート。



