ユダヤ人だけの土地として国を持たなかった彼らが旧約聖書の中にユダヤ社会が存在した事を理由に、
自国の領土を主張し1948年に建国したのがイスラエル。


建国以前にこの土地に住んでいたのはアラブ系パレスチナ人。


今ニュースで話題になり、何度も戦争をしている理由にはお互い自国の領土を主張している事や、
イスラエル側からのパレスチナ人に対する差別ともいえる扱いが大きな理由の一つになっている。


ある時、散歩をしていると、中東情勢とパレスチナ問題等を研究している人と偶然知り合う事ができた。
特に予定もなかったおれは、これからホロコースト資料館に行くというのに便乗させてもらうことになった。



ホロコースト資料館とはナチス・ドイツなどから、かつてユダヤ人が受けた迫害の歴史を伝える資料館。
幸運にも、小学5年生の頃にいとこ&兄弟でポーランドに行く機会があった。
その時に訪れた、第二次世界大戦でのユダヤ人大量虐殺の歴史を伝えるアウシュビッツ収容所は、
ホロコーストと近い意味を持った場所。


あの頃に感じた感覚とどう変化があるか‥


宿のあるアラブ人居住区から歩く事約40分、ユダヤ人居住区にあるバス停へ。
イスラム教のアラブ人居住区とユダヤ教のユダヤ人居住区にははっきりとした区切りが存在しない。


驚く事にアラブ人街で6シェケルだったファラフェルサンドが、

目と鼻の先にあるユダヤ人街では2倍の12シェケル。

同じペットボトルの飲み物さえもなぜか値段が上がっている。


ユダヤ人街はモダンなカフェが並び、アラブ人街とは明らかに空間の空気が変わっている。

ヨーロッパや日本の都会とさほど違いがない小奇麗な通りを抜けて、

バスチケット発券窓口・出発ホールがあるショッピングビルに到着した。


またしても驚く事に、
なんでもない東急のようなビルに入るにも、銃を持った兵士によって空港さながらの荷物検査が行われていた。

はっきり言って、街を歩いている分にはまったくと言っていいほど危険なニオイなどしない。
そう、札幌大通りや新宿を歩いているのとなんら変わらない整備された街並み。



銃を片手に、弾を腰に巻きつけた兵士と同じバスに乗ってホロコースト資料館に到着。

そこには予想に反して、大量のツーリストバスが。


どうやらここは観光客の観光場所として組み込まれているらしい。
この意味が自分なりに後々わかってくることになる。




無料のEntranceを抜け、最初に目に飛び込んできたのは、

ナチスドイツがユダヤ人を虐殺している動画がスクリーンに流れていた。


あのアウシュビッツ収容所で見た光景がフラッシュバックする。


かつて迫害されたユダヤ人が使っていたクツ、クシ、ハブラシ等の日用品が置いてある。
そして、ドでかく壁に描かれたナチスのマーク。


続く虐殺のビデオ、路上で人に曝された首吊りの写真、泣き叫ぶ人の表情‥‥。
射殺しているリアルタイムの映像さえもまったくオブラートに包まず流し、
人があらゆる方法で死に逝く一連の流れが、訪れた人の目に否が応にも飛び込んでくる。


まるで「さあ見てくれ!」と言わんばかりに。


ある写真の前で立ち止まった。
そこにはユダヤ人を見分ける方法とユダヤ人と断定するか否か判断する為の図が記されいた。
夫婦の絵があり、自分の祖先から何%ユダヤの血が入っているか。
そして、骨格を計る為のあまりに簡単な器具。

すべて、ナチス・ドイツから受けた被害を赤裸々に物語るもの。


歩き進むにつれ、ユダヤ人というかナチスドイツ博物館に来ているような錯覚に陥るほど、
ドイツ、ナチス、ドイツ、ナチスの文字、そしてヒトラーの写真・映像。
メインはナチスドイツが如何に残虐な事をし、

ユダヤ人が如何に悲惨で同情の余地がある歴史を孕んでいるかを主張するものだったように思える。


あまりに残酷な歴史を前に観光客はみなシリアスで衝撃の表情。
もちろん自分も例外ではない。


だが、なぜか違和感を感じる。



博物館を見て歩いているときに連れの人がこんな事を教えてくれた。


「ここには恐らくパレスチナ人、すなわちアラブ人の人は入場できないでしょう。
こういった施設だけでなく、元からここに住んでいたパレスチナ人達はイスラエル建国を理由に、
ユダヤ人から数多くの差別的な扱いを受けている。例えばイスラエルから1時間くらいでいける
ベルツヘムには意図的に区分けされたパレスチナ人自治区がある。そこにいるイスラエル兵は、
壁に隔離されたパレスチナ人に対して人の扱いをしていない。緊急で病院に行く必要のある子供が
生まれそうな妊婦にわざと足止めを食らわせたり、老人と言えどおもちゃのようにケリ飛ばしたり‥‥。」



基本的にイスラエル国民全員(専門的に宗教学校で勉強している人を除く)に、

2年間の徴兵制度が義務づけられてる。
その徴兵期間にパレスチナ人に対しておもちゃ扱いした若者が、この国に溢れていると思うとゾッとする。


なぜそんなにイスラエルが建国してから短い歴史でそんなにも国力があるのか。
理由は一つではないだろうけど、その大きなファクターとしてアメリカとの関係があると思う。


なぜかアメリカは、イスラエル原産のモノならば無制限で輸入できるという特例を出している。
さらにユダヤ人大富豪の多くはアメリカに在住していたり、
金融関連のトップにはユダヤ人の血筋が多く混じっていたり。


どちらかといえば、中東周辺国はアメリカと敵対関係にあるがイスラエルは完全にアメリカ寄りのお国柄。
戦争をすれば水面下でアメリカの援助を受け、アメリカとしては軍事収入と権力が一段と上がっていく。


という事は‥、

もし中東から全世界的な戦争が勃発したとき、

アメリカの傘の下にいる日本は彼ら側に付かざるをえない可能性も十分に考えられる。



確かにユダヤ人が受けた歴史はあまりに悲惨で、目をつぶりたくなるような出来事だっただろう。


無料で入場でき、観光客グループのツアープランにこの場所が組み込まれているのには、
「こんなにひどい目を受けたユダヤ人が自分の国を持つ権利はあるでしょ?」という

メッセージが込められているように感じた。


もちろん観光客のおれが数日滞在しただけで見れる範囲、知れる範囲は、氷山の一角にしかすぎない。
だからこそ、短い期間だけイスラエルに滞在する観光客がここを訪れ、

これでもかというほどの悲惨な過去を見た時に、

ユダヤ人国家として建国したイスラエルという国に対して肯定的な印象を与えるインパクトは大きい。


9割ナチス・ドイツから迫害された内容、

資料館最後の1割がイスラエル建国についての資料という作りは、まさにその印象を与える構成だった。


だがどうだろう。


もしこの資料館に続きを作るとしたら‥‥。
今現在、その悲惨な過去を持つユダヤ人は、

元々ここに住んでいたパレスチナ人に対してほぼ同じ事をしている。

やり方こそ違えど、それはかつてナチス・ドイツがした歴史を繰り返しているように見える。


そしてもし、パレスチナ人側からこの類の資料館を作るとしたら、
ユダヤ人にとってのナチス・ドイツが、パレスチナ人にとってのユダヤ人になるだろう。


ここを訪れた人達はどう感じたのだろう‥

そして俺の感じた事は少しでも的を得たのだろうか‥


ユダヤ教徒のJEWISHがアラブ人街を足早に通り過ぎ、その後ろ姿にツバを吐きすてるアラブ人。


それを横目に、この国のあまりに複雑な社会と歴史が持つ根の深さを知る。



旅をしてて会った国外にいるイスラエル人からは悪い印象はない。

もちろん一口に、イスラエル人、アメリカ人といっても人それぞれ。


むしろ、出会った人達はオープンな柔らかささえ感じる人達が多かった。
中には、そんな高圧的なやり方に嫌気をさしている人さえもいた。




そんな彼らのMindがこの国に行き渡る事を願い、イスラエルを後にする。