ガート沿いを歩いていると絶え間なくモクモクと煙が上がっている火葬場が2箇所ある。
ヒンドゥー教では火葬された遺体をガンガーに流されることによって、輪廻から解脱できると考えられている。
そのため、ここには死後ガンガーに流されたいと願い、遥かかなたから歩いてバラナシに来て、
ただただ死を待つ人もいる。
メインのマニカルニカーガートでは、一日に200~300体火葬されており24時間その日が消えることはない。
お金持ちの家柄の人は十分な薪で焼かれるが、お金が無い人は十分に火葬されずガンガーに流される。
実際火葬場の近くには薪用の計りがあり、どれだけ払えるかによって火葬の様子が変わる。
また赤ん坊・妊婦は焼かれる事無く布に包まれそのまま流される。
聞いた話によると、3段になっている火葬場では、一番から位の高いカースト用で、
その元火は3000年間消えていないとの事。
ガート沿いにいると決まって勝手にガイドと称した怪しいインド人につきまとわれる。
ここにいるインド人は金を稼ぐために、「kasouba kasouba」と言って日本人を連れて行きたがる。
ボート屋のおやじも火葬場でお客さんを釣ろうとしている。
あまりに露骨。
多くの人々が沐浴をしているメインガートからすぐ視界に入る火葬場のほうへ歩いてみた。
10分もしないうちに川沿いで火葬されている様子が目に飛び込んでくる。
目に飛び込んでくる光景はあまりにオープン。
風に乗ったニオイと灰を浴びる。
そして受け入れられない空気が充満している。
火葬場の様子を写真に撮って遺族に半殺しにされる外国人が後を絶たないらしい。
実際ここで現地人に殺されても、ガンガーに流されるだけ。
そんな事が平気であってもおかしくない危うさもある。
火葬場の中心部へ自称学生という青年に連れてかれた。
そこに一人の老人がいて、火葬場の説明をはじめた。
その脇から5メートル程先では、燃えさかる炎の中に
左手を上げたまま焼かれている人間の形がくっきり見えている。
独特のニオイとともに灰が体に降りかかる。
さすがに移動しようとすると、老人は薪代と称しDonationを求めてきた。
すかさず、その場から離れたものの、その一体には神聖なるというよりは正直危険な空気を感じた。
ガートを登り、入り組んだ路地に入るとすぐに商店があり、子供が遊び日常の時間が流れている。
もう一箇所の火葬場の横を通った時には、狭い通り道に布に包まった死体が自転車と同じ感覚で置かれて、
その1メートル横を人間が通る。
ガンガーへ遺灰・遺体を流している目線の先で、洗濯をし、沐浴をし、泳いでいる人々。
生と死の境界線がぼやけた空間。
死は誰にでも訪れ、
人間のタイムリミットは心臓が動いている内のみだと考えさせられる。
ガンガーで見る非日常的な光景は、実は日常的で、
うちらの住んでる日常は、リアリティから遠ざかったぼやけた日常だったのかも知れない。
