将来の花婿の職業は? | 『70歳の挑戦!』

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私の仕事は、建築設備の設計・監理です。

 

昔は、3Kの代表的な仕事で、土日出勤は当たり前。

 

残業しても残業手当などない仕事でした。

 

大阪でも多数の事務所はありますが、ほとんどが1人・2人の個人事業です。

 

10人程度の事務所なら中堅クラスの設計事務所になると思われます。

 

私が中学生のころ、ラジオの深夜放送を聞きながら高校受験の勉強をしていると「将来の花婿の職業」ベスト3と言うのをやっていました。

 

それによると、1位「医者」2位「弁護士」3位「1級建築士」でした。

 

今では考えられないですが昭和30年代は、建築ブームだったのでしょうね。

 

中学生の私は、「医者はお金がないから無理だろう・・・」「弁護士は難しそう・・・」でも「一級建築士なら、頑張ったらなれるかも・・・」と思いました。

 

工作が好きだった私は、建築に興味を持ちました。

 

親の勧めで、PL学園の建築科を受験しました。

 

無事に合格して勇んで入学してみると1日で「無理」と思いましたね。

 

入学した「聖建寮」は、定時制で昼は土木作業、夜は古い木造校舎での授業でした。

 

建築科というものの、毎日が土木作業でした。

 

しかも基本訓練から始まって、全員が足を合わせて走るのです。

 

中学時代はブラスバンド部で、国体の開会式に向けて毎日猛練習をしていたので、まったくの運動音痴でしたね。

 

一日中、指導員(先輩)がストップウォッチを持って追い回し、クタクタになって死んだように眠りました。

 

5時55分に「起床!」の笛でたたき起こされました。

 

「今日は辞めてやる」と思いましたが「昨日あれだけ頑張ったのだから、もう一日だけ・・・」と思いました。

 

その繰り返しが、3年続きました。

 

最上級生(定時制なので4年生)になる前に、寮長先生から呼び出され「君は一週間で辞めると思った。指導員になって君が体験したことを新入生に教えてやって欲しい・・」と言われました。

 

何とか卒業してから西郷輝彦が主演の「ああ、予科練!」と言う映画を見ましたが、基本訓練も団体行動もすべて「聖建寮」と同じでした。

 

聖建寮の4年間は、先日の「爺様の同窓会」でも触れましたが、4年間一緒に生活した兄弟です。

 

私には4歳違いの弟がいます。

 

もちろん弟には「聖建寮」は進めませんでした。

 

同じ苦労をさせたくなかったのです。