グリーグのピアノ協奏曲は、
冒頭部分だけが取り上げられることの多いことに
ウンザリしている方もおられるでしょう。
抒情性や力強さ、ドラマティックな展開と、
実によく出来た曲であるにも関わらず、冒頭部分だけが
独り走りしてしまい、曲そのものの素晴らしさが伝わって
いないような気がします。
同じような境遇の
ベートーヴェンの5番よりも酷い扱いかもしれません。
この曲に関しては、
2011年 ベルリン・フィルのジルベスターコンサートにおける
エフゲニー・キーシンの演奏について、
抒情的というよりは、叙景的
-標題音楽ではないにも関わらずです-
な演奏が素晴らしかったというようなことを書きました。
これは、キーシンの卓越した表現力に加え、
サイモン・ラトル指揮によるベルリン・フィルの面々が
キーシンの意図をくみ取るような丁寧な演奏に徹することで
最大限の効果を上げていたと思えたのですが、
その正反対に位置する演奏もありました。
それは、
レオン・フライシャーのピアノと
セル指揮によるクリーヴランド・オーケストラによる
演奏です。
フライシャーという人は、
かのシュナーベルの弟子でありますが、
ここで聴くことのできる演奏は、
表情の深い演奏というよりは、力強く、全ての音の輪郭を明晰に
描き出した演奏です。
これは、どちらかというと、指揮者であるセルの好みの音・・・
この演奏、実に力強く、方向性も明確で、私自身も
好みなのですが、
先ほどのキーシンがピアノを主とした演奏なのに対し、
フライシャーはセルの好みを反映させた演奏に聴こえて、
なかなか楽しい聴き比べではあります。
冒頭部分だけが取り上げられることの多いことに
ウンザリしている方もおられるでしょう。
抒情性や力強さ、ドラマティックな展開と、
実によく出来た曲であるにも関わらず、冒頭部分だけが
独り走りしてしまい、曲そのものの素晴らしさが伝わって
いないような気がします。
同じような境遇の
ベートーヴェンの5番よりも酷い扱いかもしれません。
この曲に関しては、
2011年 ベルリン・フィルのジルベスターコンサートにおける
エフゲニー・キーシンの演奏について、
抒情的というよりは、叙景的
-標題音楽ではないにも関わらずです-
な演奏が素晴らしかったというようなことを書きました。
これは、キーシンの卓越した表現力に加え、
サイモン・ラトル指揮によるベルリン・フィルの面々が
キーシンの意図をくみ取るような丁寧な演奏に徹することで
最大限の効果を上げていたと思えたのですが、
その正反対に位置する演奏もありました。
それは、
レオン・フライシャーのピアノと
セル指揮によるクリーヴランド・オーケストラによる
演奏です。
フライシャーという人は、
かのシュナーベルの弟子でありますが、
ここで聴くことのできる演奏は、
表情の深い演奏というよりは、力強く、全ての音の輪郭を明晰に
描き出した演奏です。
これは、どちらかというと、指揮者であるセルの好みの音・・・
この演奏、実に力強く、方向性も明確で、私自身も
好みなのですが、
先ほどのキーシンがピアノを主とした演奏なのに対し、
フライシャーはセルの好みを反映させた演奏に聴こえて、
なかなか楽しい聴き比べではあります。