【ギーゼキング】1895-1956
この方に関しては、的を射た表現するのが難しいために、極めて抽象的に簡単に扱われることが多い気がします。その理由は、作曲家の指示をことごとく無視しているにも関わらず、奏でられた音自体は非常に躍動的で魅力にとんでいることにあるのではないでしょうか。ただ、それだけなら「グールドのようなものか」ということになるのですが、一人、曲と向かい合って綿密な分析に基づいた上での再構築を成し遂げるのがグールドという人であり、そこが評論家諸氏が賞賛する糸口となっているのに対し、ギーゼキングは、その場その場での霊感的なひらめきによるダイナミズムが大きな魅力となっているがために、評価の糸口がつかみにくいという現実があるのです。
「その場その場での霊感的なひらめき」が事実かどうか、ぼくには知る術はありません。しかしながら、ぼく自身はギーゼキングの演奏を聴けば聴くほど、ジャズのインプロヴィゼーションのごとく聞こえて仕方がないのです。
ほとばしる内的なエネルギーの塊を、観客と自分との対峙の中で、冷静にコントロールしていくことが求められる一方で、旋律自体は演奏者に一任されるのがジャズにおけるインプロヴィゼーションであるのに対し、ギーゼキングにおけるインプロヴィゼーションは、旋律はベートーヴェンそのままに、テンポとデュナーミクを完全に自分の支配下において、全身を使って表現しているかのような演奏です。自分に備わった歌心だけが唯一の手綱なのでしょう。これだけ大胆な演奏をしながらも全体としては見事にまとまっているのです。スコアを完全に暗譜する能力に長けたギーゼキングだからこそなし得た演奏ではないでしょうか。
また、それだけに、録音は一発録りのような形で行われたものと推察されます。録音レベルの設定がまずく、音が歪んでいるのもそんなところに理由があると思われます。