【3】 6つのピアノ曲 作品118
グールドはこの作品集においても、その「鬼才」ぶりを遺憾なく発揮しています。ことに第二曲の、青白い鬼火に照らし出されたような異形の美しさは、「冥界的才能の最たるもの」 (『漢詩 -美の在りか- 』 松浦友久著 岩波新書)と言えるものではないでしょうか。
これに対し、スティーヴン・コヴァセヴィッチの演奏などは、ロマンシズムに溢れた演奏であっても、付いてまわりがちな、押しつけがましさというものが全く感じられません。
これこそ、コヴァセヴィッチの一つの特質であると思われるのですが、雲が緩やかにたなびき流れるように旋律が淀みなく紡ぎだされます。第二曲での抒情的な調べ、第三曲での力強いアタック、第六曲の弱音、それらすべての音が自然発露的に沸き出てくるようで、やれ原典主義だの、アゴーギグがどうのとか、そういった付加的な価値を一切必要としません。
コヴァセヴィッチの指から奏でられる音はあまりにも自然で、先の松浦氏の言葉を借りれば、「天上的才能の最たるもの」と呼びたくなります。もちろん、これは努力もなく到達したことを言っているのではないことは自明でありましょう。
その一方で、持てる技術のすべてをつぎ込んでいます、と言わんばかりの、「人間的才能の最たるもの」と言える演奏として、エレーヌ・グリモーによるものを挙げたいと思います。
透明感に富んだクリアな音の一方で、デュナミークの振り幅の大きさは野性的な力強さを感じます。
さらに、左手の使い方が非常に鮮明で、右手と左手が別の意志を持ったかのようなテンポ・ルバートや落差の大きなパウゼによって官能的な陶酔感すら覚えます。
ピアニストの方にとっては、許しがたい演奏なのかも知れません。
しかし、こういった演奏もこれまでと同じように、何年も経ってから振りかえってみれば、一つの演奏の形として語り継がれていくのではないでしょうか。
ぼく自身は、近年まれにみる名演だと感じました。
