歌詞や短歌をつくる基礎という意味で、言葉に対する感度は少しでも
上げていきたいと常々思っています。
最近、どこかで「赤子の手をひねるより簡単だ」という表現が目に留ま
りました。いとも簡単という意味です。でもこりゃダメでしょ、と思いまし
た。我が子を虐待して死なせてしまうというような事件が頻発する昨今
です。そういう表現は不適切だ、ということになりそうですよね。
「朝飯前」というのはいいですね。朝飯食って体にエネルギー補充しな
くたって簡単にこなせるよという意味でしょうか。「お茶の子さいさい」
は、まあ普通かなあ。
で、問題は「屁の河童」。なにそれと絶句です。なんでこれとこれ組合
せて「いとも簡単」になるのか皆目見当つきません。なぜ「オシッコのろ
くろ首」にならなかったんでしょうか、「げっぷののっぺらぼう」にならな
かったのでしょうか。。。
ああ、「言葉に対する感度アップって、こんなくだらないこと考えるって
ことか?」という大ブーイングが聞こえております。
さて、それはともかくちょっと調べると「屁」を含む表現がたくさんあるこ
とに驚かされます。って、また屁かあ。うんざりだなあ。。。と、そう言わず
にどうかお付き合いください。もう少しですから。
で、「屁理屈」「屁でもない」「言い出しっ屁」「屁っぴり腰」などなどです。
お上品な皆さんもこの「へ」が「屁」だと認識せず結構普通に使ってま
すよね。上等な言葉(品)を使えないんじゃ上品とはちょっとねえ。。。
屁理屈言うなって?あ、また屁ですよ。
日本語って結構面白いな屁っ屁っ屁っと笑いが止まりません。
あ、そう言えばおごそかさと滑稽さの調和が見事な短歌を詠んだこ
とを思い出しました。特別にご紹介致しましょう:
「おしりから煙吐いてるひとを見た 大晦日の夜(よ) 表参道」
※追伸:「ふんぎりがつかない」は「踏ん切りがつかない」(踏み切る
ことができない→決断することができない)であって、個室でがんばっ
ても終焉がもうひとつ定かではないというあの状況から派生した表現
ではありません。念のため。
今日は大脱線ですが、私はシニアのこころをコンセプトにして作詞作
曲をしているシルバーソングライターです。ぜひホームページにお立
ち寄りください。