プロフィール に記載しているより少し詳しく、私の経歴を紹介させていただきます。
大学を卒業する年に、バブルが崩壊しました。
それまでの好景気とうって変わった状況に、就職活動の世界でも氷河期がはじまり。
そんな中、その後約20年勤続するIT関係の会社に、何とか就職が決まりました。
しかし、最初は本人は開発系に進むつもりでいました(と言うか、IT系のエンジニアって、それしかないと思っていましたが)。
ところが不景気の影響か、開発系よりもインフラ系と呼ばれる機械そのものにちょっと近い分野の方が、人手のニーズがありまして。
思いがけずインフラエンジニアになり、意外とそれが性にあっていたようで……現在もそのまま(笑)。
ただ、どうしても長時間の労働が多いということ(労働基準法はありますが、その規定値よりも前に、人間が平常なパフォーマンスが出せる限界というのは来ます)。
そして、長年働いていると、どうしてもマネジメントの仕事が振って来るということ(今だったら平気かも知れませんが、当時はそれを楽しめなかったので)。
そのあたりが、ストレスだったかな……と、思います。
■脳梗塞→欝病1回目(鬱病に「1回目」とかがあるあたりが、我ながら恐ろしい)
30代の終わりに、父が他界。
家族が1人減って家が無駄に広くなったということや、私の仕事が夜遅いことが多いので絶対に駅の近くが良いという母の強い意見で、現在の住まいに引っ越しました(23区内→23区内)。
が、この時に契約した住宅ローンが、その後の私の人生に年々どっしりとした重荷になってゆくとは、当時は思ってもいませんでした。
正直、私自身は今の住まいに母ほどの思いいれはなく。
たしかに便利にはなったけれど、だからと言ってさほど嬉しくもなく……という程度で。
正直言って、今だに 「母の家であって、私の家ではない」 という感覚が、抜けないです。
(私は居場所や家庭を現す4ハウスに天王星と冥王星がいるせいか、基本的にどこにいても”自分の居場所”という実感が薄いのですが)
自分で毎月、ローン払ってるのにね~
人生最大(のはず)の買い物だって言うのにね~
それが嬉しく買えていない&払えていないというのは、ひとつちょっと、自分の今後の課題だとは思っていますが。
これはなかなか、女性にはないお悩みかも。
そして40代が近づいてきたころから、PSM(生理前に頭痛やのぼせやイライラ等の症状が出る)に悩むようになりまして。
婦人科に行って検査したところ、「早期の更年期ではないですが、PSMみたいですからピルを服用しましょう」と、薦められました。
突然の脳梗塞 に倒れたのは、その少し後のこと。
ちょうどその前日、1人で客先の無人のマシン室で夜間作業をしていたので(しかも警備員が夜間巡回すら来てくれないような場所だったので)、倒れたタイミングが半日ズレていたら、私はもう生きていないだろうと思います。
が、幸い倒れたのが日中&身内に脳疾患患者がいる人と一緒だったので、「これは、絶対脳の異常だと思います」ということで、救急車で脳神経科のある病院に搬送され。
意識が回復した後で一旦帰宅しましたが、翌週から入院。
ただ、これまた本当に幸いだったことに、大きな後遺症はなく、検査の結果も他の身体の不調から起こった脳梗塞ではないということで、半月ほどで退院しました。
疑われたのは、ピルの影響ではないかということでしたが。
婦人科の医者の方は、「そんなことはありません」と言うし(笑)。
脳神経科の医師の方は、「ピルで血が凝固しやすくなる人はいるから」と言うし(笑)。
どちらが本当なのか、私には判断はつきませんし。
ピルを服用しても別に問題ない人の方が大半なので、私の体質との相性というのもあったのだろうと思います。
仕事も、そこそこ忙しい時期でしたしね。
でもまぁ、とにかくピルは断薬しました。
退院して復職して、数ヶ月後。
職場で、ちょっとしたトラブルがありました。
今の私だったら何てことのないような、本当にちょっとしたトラブルだったのですが。
それをきっかけに、だんだんと体調が崩れていきました。
眩暈・頭痛がひどくなり、人ごみが苦手(もともとそんなに好きではなかった)になり、地下鉄に乗ることが苦痛になってきて。
それでも私は、「これ、今のタイミングで医者に行ったら、絶対に鬱病か自律神経失調症で即休職って言われるよなぁ……」と、仕事に一区切りがつく時まで待ってから、近所の医者へ行きました。
今思えば、 どこまでバカなのか自分 って感じですが
もの凄~く、「できるだけ、周囲に迷惑かけちゃいけない」 という意識が強くあったみたいです。
で。
案の定、鬱病の診断が出まして。即休業。
半年ほど、本当にぼ~っとしていました。
ちなみにその時、心療内科の先生に言われたセリフで一番衝撃的だったのは、
「数ヶ月前に、脳梗塞を経験されているんですね。そういう方は、脳内の血流の状態が悪くなっているので、鬱病や自律神経失調症になりやすいんですよ」
「鬱病は心の病ではなくて、脳の、体の病なんです」
という言葉でした
そういえばアメリカなんかでは最近、鬱病患者に脳に電波刺激とかを与える治療が行われたりしているようですしね。
このセリフはある意味、「心」という正体の掴みきれないものではなくて、物理的にわかりやすい「体」と向き合えば良いのだ……という意味でもあったのだと、今にして思います。
ちなみに、健康診断で「子宮筋腫がありますね」と最初に指摘されたのも、たしかこの頃。
■欝病2回目からの、人生大回転
鬱病とか自律神経失調症という病気の特長は、「休んで何もしないでいると、それなりに回復する」というところだと思いますが。
半年ほど休職しているうちに私もだんだんと回復してきて、復職しました。
さすがにそれまでの部署からは外れ、もう少し肉体的にはキツくない(と思われる)部署へ移動させていただき。
3年ほどは、なんとか働いていました。
しかし。やはり勤続年数が長いもので、それなりに重責の伴うお仕事というのも、どうしても振ってきます。
復職して1年もたてば、他の社員と同じパフォーマンスが求められるのは普通ですから。
しかしそうすると、肉体的にも精神的にも、どうしたってキツくなります。
私の場合、鬱病という病になった自分自身の内側の考え方のメカニズムというか、思考回路のクセみたいなものがあって。
それは変わらないまま、単に休んで体調回復してきたからという理由で復職したので。
また仕事をしていく上で同じような流れがまわってきたら、体は同じように欝状態に陥るわけです。
しかも、前回よりもたやすく。
ということで、再度欝状態の症状が出て、2度目の休職。
休めば回復するので、しばらくするとまたもや復職。でも、休みがち。
そんなタイミングで退職の機会があって、約20年勤務していた会社を辞めました。
今、思えば。
自分の内側の考え方のメカニズム&思考回路のクセが変わらないままでは、欝癖が治るわけはなかったのです。
私の場合は、そこを変えるために、この後に人一倍の無茶をしましたが。
それこそ今思えば、自分の内側の考え方のメカニズム&思考回路のクセを変えるのに、そこまでしなければならない必然性はなかったのかも……とは、思いますね。
退職後しばらくしてから、会社がつけてくれた再就職支援会社の紹介で、ベトナムの会社に約10ヶ月勤務しました。
「ベトナム なんでっ 」 と皆さんに言われますし、私自身も正直そう思いますが(笑)。
当時は、とにかく自分をとりまく環境をガラっと変えたかったのです。
けれど、再就職活動で来るオファーは、今までと同じような仕事ばかり。
もし職種を変えるとしたら、収入も激しく落ちるという現実も見せ付けられ。
そうなると、ローンの関係で苦しくなるし……等々。
同じ仕事を繰り返せば、きっと鬱も繰り返すだろうという予感もあり……。
そんな中の、ベトナム勤務話。
まぁ……いろいろありましたが、私自身は自分の人生経験の一環として、行って良かったと思っています。
「こ~んなに皆適当なのに、家庭も、会社も、国も、まわっているんだ いいんだ 」
っていうカルチャーショックが、一番大きかったかも知れません
そしてベトナム生活の間に自分の時間ができ、いろいろな方のブログやメルマガを読むようになり。
これまたいろいろあって、10ヶ月で帰国して、就職活動をして、再就職。
会社に行きつつサイドビジネスをはじめられるだろうかと、漠然と考え始めたのは、この頃のことだと思います。
再就職して働きながら、叶理恵先生の女性起業塾に行き、玉来なおこさんのメイクフォト講座に行き。
いろいろと学ぶうちに、自分でもまったく思ってもみなかったことに、西洋占星術と写真を中心としたサイドビジネスをやったりもして(現在は休眠中)。
その間に。
30代前半から少しずつ成長を続けていた子宮筋腫が、だんだんと大きくなり。
全摘手術に至ったのは、帰国&再就職後2年目のこと。
思えば私、それまで物凄~く我慢して、自分を殺して生きてきてのだと思います。
そうして頑張ることが、良いことだと思っていたし。そう信じてもきました。
あ~~~……でも、そうしなくても、良かったみたい
とようやく思えるようになってきたのは、最近のことです。
女性としての自分のことも、特別粗末にしてきたつもりはないのですが、決して大事にしてきたわけでもなくて。
その結果が、子宮全摘という結果になって返ってきたのだと思っていますし。
ちなみに子宮筋腫の疾患そのものは私の場合は遺伝的な体質らしく、姉にも同じ疾患はあるのですが。
1.3kg にまで肥大化して、手術で摘出するほどの騒ぎになったのは、私だけ
そんなわけで最後に、約1年間封印していた写真を大公開(爆)
左:2015年1月のなおこさまの講座前の写真 右:翌年のIPhone自撮り。
念のため申し上げておきますが、同一人物ですっ
約1年の間に、体重はマイナス約10kg(摘出物を含む)落ちましたし。
化粧も、身に着けるものも、何もかもが変化した1年間でしたし。
それだけでなく、私の内面も変化しましたし。
何より面白かったのは、周囲からの扱いや評価が変わったとこと。
「人は見た目が9割」というのは、本当なんだな~と、実感してます。
脳梗塞→2度の欝→退職→海外生活→子宮全摘……と、正直もう既に人生を一周した感がありますので。
何となくなのですが、自分の人生に、もうこれ以上大きな試練は来ないと思っています。
客観的に見た時により大きな物は来るかもしれませんが、私自身から見た時の最大の試練は過ぎたと思いますし。
なので他者の人生でも、まぁ、よほどのことでも驚かない自信はあります。
同世代の女性は、6割ほどが子供を持っているといいますし(私は未婚、未出産のまま卒業)。
そして、同世代の働く女性で、管理職に就いている人の割合は、6%とも14%ともいわれていますし。
(働いていない女性もいるので、女性の全体数から言ったらもっと少ないですね)
完全なる、マイノリティではありますが。
だからこそ、見えてくるもの・考えること……を、書いていきたいと思います。