※これはユタ界の総意ではありません。

あくまで、私個人の考えです。


沖縄県知事選挙について思うこと


私はこれまで、ユタは政治的な問題について、できるだけ中立であるべきだと考えてきました。


それには理由があります。


ユタの信仰は、長い歴史の中で、時の権力によって制限され、あるいは弾圧されてきました。


そのような歴史を持つユタにとって、政治権力や政治的対立から距離を置くことは、自分たちの信仰と神事を守るための一つの知恵だったのだと思います。


だから、ユタが政治について語らないことにも、私は一定の意味があると思っています。


しかし今、私は「それでも黙っていていいのだろうか」と考えています。


目の前で、先人たちが神々の土地として大切にしてきた場所が失われていく。


神域とされてきた場所が、人間の都合によって利用され、そこにおられた神々が、別の場所へと避難されなければならなくなる。


それを見ながら、何も語らない。


果たして、それは神々に対して誠実な姿勢なのでしょうか。


私は、そうは思えません。


もちろん、私は沖縄県民ではありません。


今回の沖縄県知事選挙において、私は一票を投じることもできません。


しかし、私自身も琉球弧にルーツを持つユタです。


奄美から沖縄へと連なるこの島々は、行政区域としては別々であっても、歴史や文化、そして信仰の面では深くつながっています。


私にとって、沖縄の神々の土地で起きていることは、「沖縄県民だけの問題」として片付けられるものではありません。


だからこそ、私は今回、一人のユタとして、この問題について声を上げることにしました。


神域をこれ以上収奪しないこと。


そして、神域を収奪させないこと。


先人たちが大切にしてきた場所を、単なる土地として扱わないこと。


そこに宿るものを信じる人々の声を、政治や経済の都合だけで切り捨てないこと。


私は、そのような姿勢を持つ知事に、沖縄県政を担ってほしいと考えています。


神事に携わる者として、神々の土地が失われていくことを目の前にして、ただ沈黙していることが本当に正しいのか。


私は、問い続けたいと思います。


私は、ユタの神事に対して、神々に対して誠実でありたい。


私の能力の一つ「吸収」は、通常の治療では治療困難な病気・症状に対して、その原因となるものを私の身体に移動させ、浄化するものです。


ただ、ご本人の努力にお任せするしかない事例もあります。


生活習慣病です。


吸収をした際に、胸や背中、首から上に強い痛みが走ることがあります。


これは「突然死が来るぞ!」という神様からの警告です。


ですが、食生活や生活習慣を改善することで避けることができます。


実際に、何年も何事もなく生き、仕事をすることができている方もいます。


ところが、仕事の忙しさやストレスから生活習慣を改めることができず、または私の判示を完全に信じられない方が、ある日突然亡くなったという事例もあります。命は助かったとしても、後遺症が残る場合もあります。


まだ医療が発達していなかった時代は、ユタは集落の中での医師のような役割を担っていました。予知をして、予防させるという役割もその一つです。


現代においても、何よりも予防をして、突然死を回避することが大切です。




近頃、ネット上で「奄美には偽ユタがいるようだ」という話が聞かれるようになりました。


1972年、民俗学者桜井徳太郎が取り上げたユタマンチャー(偽ユタ)や、ユタ崩れ(神様に見限られた元ユタ)がいることは、私たちの間では常識でした。

ただ、私たちの間では当たり前のことであっても、一般の方には見分けがつきません。そのため、戦後から現在まで被害が絶えませんでした。

私は「このままでは先人達が守ってきたユタの習俗が破壊され、収奪される」という危機感を覚え、10年前から偽ユタの存在について訴えてきました。

そして、ようやくそれが認知されつつあります。

被害相談は、現在に至るまで数多くいただいています。

弾圧に耐えながらも先人達が守ってきたユタの習俗が、金儲けのために破壊され、収奪されていくのを眺めているありません。

そのたびに、自分の無力さを思い知らされました。

しかし今になって、蒔いた種が少しずつ実を結びつつあります。

「伝わらなければ、伝えたことにならず、無駄である」

という考えもあります。

しかし、メッセージを発し続けていれば、いつか誰かに届き、そこから広がっていくことがあります。

だから私は、これからも伝え続けます。

「ユタマンチャーに気をつけてください」と。

前回の「呪術受け入れ停止」の記事の後にいただいた呪術依頼を受け入れました。


というのも私の問題意識と重なっており、「今やらなければ、来年は状況がさらに悪化している」可能性があったためです。


ただ、頭痛が激しいです。

対象範囲が広すぎるからです。


ただ、ここで逃げてはならないと思います。

神様が私に呪術能力を「与え」たのは、このような時のためだからだと思うのです。

※「与え」:神様が能力を授けること。または授けられた能力。


一年、耐えます。

それでダメなら、私はその程度の術師だったということでしょう。

昨年、呪術の依頼を受け過ぎて体調が悪化し、通常の判示も行えなくなった反省から、本年度は限界を迎える前に呪術依頼の受け入れを停止いたします。


再開は早くて年明けになると思います。

ご承知おきいただけますと幸いです。



※通常の判示は継続して行ないます。







このUSBには、私がこれまで記録してきたユタの習俗、神事、そして先人から受け継いだ教えが収められています。


私は、この記録を単なる資料や思い出として残しているのではありません。

ユタの世界は、長い間、口伝によって受け継がれてきました。

しかし、その一方で、口伝だけでは解釈が分かれ、本来守るべき戒律や習俗まで変えられてしまうことがあります。

私は、それを深く憂えています。

先人たちは、時代の変化や弾圧の中でも、神々への畏敬を失わず、受け継いだ教えを守り続けてきました。

だからこそ、私たちの世代が受け継いだものを曖昧なまま次の世代へ渡してしまえば、それは先人たちへの責任を果たしたことにはならないと考えています。

この記録が、どれほど多くの人に影響を与えられるのか分かりません。

しかし、記録がなければ、真実を確かめる機会そのものが失われます。記録が残っていれば、未来の誰かが確かめることができます。

自分に託された役割があるとすれば、それは受け継いだ習俗をできる限り正確に記録し、後世へ手渡すことだと思っています。

それが、神々への畏敬であり、先人たちへの感謝であり、そして未来への責任だと、私は信じています。

備忘録として七年修行の際、神様から指定された地(七箇所)を記録しておきます。


第一指定地 沖縄県石垣島 石垣島事件慰霊碑




第二指定地 沖縄県糸満市轟壕




第三指定地 福岡県福岡市志賀島沖津宮




第四指定地 島根県出雲市出雲大社




第五指定地 三重県伊勢市宮川




第六指定地 山形県秋田県鳥海山




第七指定地 中国四川省峨眉山(長崎市三福寺で代替)




戒律上、私は民俗学での発表主体にはなれませんが、現代的ユタの正統性についての考察を記録しておきます。


ユタ研究においては、カミダーリ、入巫、7年修行、成巫といった成立過程が重視されてきました。

一方で現代では、都市化やインターネットの普及により、従来の島の共同体から離れて活動する霊的実践者も現れています。


本稿では、

・伝統的ユタモデル
・桜井徳太郎モデル
・現代的ユタモデル
・ネット承認型事例
・例外事例

を比較しながら、現代におけるユタの成立と承認から、現代的ユタの正統性ついて考察します。


まず、伝統的ユタの成立過程を整理します。


要素伝統的ユタ
カミダーリ 
入巫
7年修行
成巫
地域承認


前提として、ユタとなるには奄美群島・沖縄・先島諸島に先祖がいたことは必須、という点を付記しておきます。


カミダーリによる霊的危機を経験し、既存ユタのもとで修行し、成巫を経た後、地域社会から承認されて初めてユタとして活動することができました。



次に、民俗学者・桜井徳太郎は、ユタの本質を共同体における機能と承認に求めました。整理すると、


要素桜井徳太郎モデル
カミダーリ   △
入巫    △
7年修行   △
成巫    △
地域承認   ○

となります。


極論すれば、カミダーリから成巫までのプロセスを経ずとも、ユタの知識と役割を担う人物が地域社会からユタとして認識されれば、理論上はユタたり得えます。


つまり桜井モデルにおいて本質的なのは、

「地域共同体がその人物をユタとして承認しているか」

という点です。



そして現代では、活動場所や活動方法が大きく変化しています。

しかし成立過程そのものは必ずしも変化していません。


要素現代的ユタ
カミダーリ 
入巫
7年修行
成巫
地域承認

現代的ユタは伝統的な成立過程を踏襲しながら、


・都市部で活動する
・出身地を離れて活動する
・インターネットを活用する


といった特徴を持ちます。

変化しているのはユタそのものではなく、活動空間です。



また最近では、カミダーリや入巫を経ずに霊的活動を行う者も見られます。


要素ネット承認型事例
カミダーリ    ×
入巫    ×
7年修行    ×
成巫    ×
地域承認    ×
ネット承認    ○

ここで注意すべきなのは、

奄美沖縄に出自があり霊障のような経験をしても、それが直ちにサーダカウマリ、カミダーリとは認定されない点です。


というのも、カミダーリから成巫までのプロセスは分けることができないためです。


そのため、「カミダーリを経験しないユタも存在する」ではなく、より厳密には、


「カミダーリを経験せずにユタを名乗る者が存在する」

と表現すべきではないでしょうか。


この種の事例は、桜井徳太郎のいうユタマンチャー(偽ユタ)との境界が問題となります。



一方で、興味深い例外的な事例もあります。私自身が修行中に奄美大島で2回お会いし、教えを受けた方です。


その方は、

「私はユタじゃない。周りがそう言っているだけ」

と語っています。


また、ユタの祭壇を整え、ユタの習俗について深い理解を持ちながらも、

「この方が島の人に受け入れられるから」

と説明しています。整理すると、


要素 例外事例
カミダーリ  ?
入巫  ?
修行  ?
成巫  ?
地域承認  ○
自称ユタ  ×

となります。


ここで重要なのは、

本人はユタを名乗らないにもかかわらず、地域社会がユタ的存在として認識している

という点です。

これは桜井徳太郎の地域承認モデルを想起させる事例と言えます。


以上の事例を比較すると、興味深い対照が見えてきます。

ネット承認型事例では、

・本人は霊的実践者として活動する
・地域承認はない


一方、本事例では、

・本人はユタを名乗らない
・地域社会がユタとして扱う


ここから浮かび上がる問いは、

「ユタとは誰が認定するのか」

です。


修行した本人の自己認識なのか。

親神なのか。

地域共同体なのか。

ネット上の支持者なのか。


以上本稿では、伝統的ユタ、桜井徳太郎モデル、現代的ユタ、ネット承認型事例、例外事例を比較しました。


その結果、現代的ユタの正統性は、ユタそのものの変質というよりも、

「承認主体の多元化」

に求められるように思われます。


本稿は現代的ユタの正統性を定義するものではなく、その検討課題を提示する試みです。




昨日からの大雨で奄美群島では土砂崩れ、床上・床下浸水等の多数の被害がありました。


この「大雨による災害」は2010年以降に起きています。


それまで奄美沖縄では、台風による被害はありました。しかし近年、大雨による被害が頻発しています。


水害対策を行っているにも関わらず、豪雨災害が起き続ける。


私は、山の神様、水の神様という奄美の神々が島を離れてしまったため、と考えています。


なぜ、神々は島を離れたのか?

住民との契約関係が解消されたためです。


「住民が神様を敬い祀るからこそ、神様も住民を守る」


これが世代を超えて継承されてきた、奄美沖縄での住民と神々との関係です。これはアイヌも同様です。

しかし、その契約関係が解消された。


神々が戻って来ない限り、災害は今後も続きます。


私はこれからも、メッセージを発し続けます。

昨年、大学院在籍時に指導していただいた、九州大学名誉教授宮川泰夫先生がお亡くなりになりました。


先生は「沖縄 平和の海廊」という構想を持ち、沖縄は歴史的に、


琉球交易

海運中継

多文化交流


によって成り立ち、今後沖縄は


国際物流

学術交流

海洋研究

環境技術

文化産業

へ転換すべきだと論じました。


沖縄が、軍事的対立の拠点ではなく、交流の拠点として平和構築の礎となれる、という構想でした。


先生の問題意識は、「周縁地域が、中央政治や中央経済の論理だけに従属しないためにはどうすべきか」というものです。


これは現在の私の問題意識である、


奄美沖縄固有の精神文化

地域アイデンティティ

周縁の自己回復

土地と共同体


と繋がります。


奄美沖縄の住民が自らの意思でアイデンティティを回復する。


これが、島に神様が戻って来ていただける条件の一つだと思うのです。