ーSILVAのひとり言ー 2
「私が '最初の歌手' になった時」
「じゃあ、最後の歌手もあるの?」って聞き返されそう。。。
思うに、SILVAという歌手はきっと私の人生で最後の表現者で。
そして最初の歌手だった頃の「私」はこのSILVAになれた原動力であり、今でもその頃の「私」がSILVA になって、私を歌わせるのだ、と思うのです。
18歳の高校3年生の冬。
世の中はイカ天ブームの中、私の場合はというと、声楽を習いながらも洋楽、ブラックミュージック好きだった事もあり、12インチのレコード盤を買いあさっては、ターンテーブルや白黒画面だったMACの中古のSE30を買い、AKAIのサンプラーS2800やRolandのキーボード(機種忘れてしまったー)を買って押し入れでこそこそと打ち込みサンプリングループデモを作ってみたりしてました。
ちなみに最初に買った洋楽12インチはなぜかバリーホワイト。あの声にセクシーさを感じてずっとレコードプレーヤーに耳をくっつけて何百回も聞いてたなあ。
ある日、受験勉強の息抜きにカラオケバーで歌っていた私はたまたま居合わせた3,4つのメジャーレーベルのスタッフの方々に歌手にならないかとスカウトをされた。
声楽をしてきた私に残されていた進路は音大受験か、音楽エンジニアになるための専門学校へ進学かの最中。契約したらお給料が出るという待遇に舞い上がり、すぐに1つのレーベルと契約。
その頃、私が作りためていた楽曲は今で言うR&Bの走り。でも私が契約していたレコード会社は、私にはshibuya系ポップス路線というイメージを軸にローラニーロやキャロルキングなどの黒人ぽい白人のポップスにしようと提案していた。
その頃の私にはNOともYESともはっきり自分の意見を言えない、弱い自分がいて、いつも自分の音楽性に迷走しながら制作していた。
流されるまま、上から言われるままに自分の曲をアレンジしていくことにたいして、意見を言える知識も技術も話術も無く、人間的、アーティスト的スケールも小さかった。自分が表現したい事を形にすることって、ただ強い意志があるだけでは駄目なんだよなーって今になっては思う。
でもこの頃にしか経験できなかった貴重な出来事も山ほどありましたっ。
同じレーベルメイトだった東京スカパラダイスオーケルトラの皆さんや鈴木祥子さん、ボガンボスなどの音楽のたくさんの先輩たちとの交流があり、仮歌、コーラスなどの仕事も初めてここで経験し、生楽器のレコーディング作業に毎日のように足を運ぶ事で、音楽を1から作る、奏でる喜びを体で学ぶことが出来たり。
同時にコーラスや歌の表現が下手な私をたくさん叱ってくれるミュージシャンの先輩方が私の周りにはいっぱい居てくれた。
有名なミュージシャンの先輩方でも、よく「高橋~」と名字で私を呼ぶと、遊びバンドを結成しようとノリで私をVocalに起用してくれて、みなさんがレコーディングするための大きなリハスタジオで即興バンドの楽曲制作が始まってしまったり。ライブというライブは片っ端から観に行かせて頂き、自分がいつか一人でステージに立つイメージを作りあげたり、妄想したりした5年間がありました。
もちろんその頃は、アルバイトをしながらのミュージシャン1年生。
そんな環境の中で、私自身のレコーディングでは最高にかっこいいミュージシャン、アレンジャーが名を連ねてくださり、制作作業はまるで夢のようなものでだった。
いつでも手を伸ばすと、近くに理想を貫いて強く輝くアーティストが居て。
それなのに、いつも手が届くはずの理想のアーティスト像が私の中には存在できてなくて。あの頃はいつも自分自身に迷っていたように思う。
ある日、初めてのラジオ番組のテストをした時があって。
でも当時のスタッフの方に「君はボキャブラリーがなくて、マジメすぎて、話も暗くてつまらないよ。これじゃ売れないよ」と言われて、とってもとってもショックだった。その頃の私は、赤面症が出てしまうほどの上がり症で、大人に合わせようと背伸びする話の内容は薄っぺらくて。確かに2時間あるラジオ番組の設定だったのに、自分が話せた「自分」という内容の話は2分くらいだった。
仕方ないかな、私の中に何にもベースになるもの、音楽を鳴らしたい情熱、体がうれしがるリズム、思わず奏でてしまうメロディがそこには溢れるほど十分には無かったもの。むしろ自分の中にそれらがあっても、把握できてなかったというべきかな。
ただ未知な世界に憧れただけでビジョンも、努力もそこには無かった。
カッコばかりで「気分だけのアーティスト」がそこには居たんだと思う。
だからよくそのせいで、私は辛かった、と人のせいにしてた時もあった、な。
人間的なことでもそう。社会的な常識や経験があまり無く、アーティストの権利を守る著作権や印税のこと、契約ですらよくわかっていなかった。誰かが教えてくれるんだと思っていたし、そんな事知らなくたって誰かが守ってくれるんだくらいに思っていた。
だから音楽が好き、というだけで掴んだ夢はほどなく私の手から離れてしまった。
土俵入りした事だけに満足して、一人おなかがいっぱいになって、あぐらや居眠りをかいてたようにも思ってしまう。22歳のとき。
そんなこんなで18歳で飛び出した実家の家族からは、もう諦めて帰ってきなさいとの話が続き、簡単に手に入れたチャンスは、そう簡単に「自分のもの」に出来るはずはなく。私の周りに居てくれたスタッフが誰一人居なくなったとき、虚無感というよりも、自分の未熟さ、アーティストとしての小ささに毎日悩んだ。
前に1歩も踏み出していないような初めての挫折感に、どうしても決着をつけたい感情がどんどん溢れ出してきて。せっかく目の前に道が出来たのに、その道を歩けないもどかしさに、生まれて始めて「自分を思いっきり素直に表現して、それを伝えたい!」という強い信念が生まれた。
そして周りには誰もいなくなった私が最初にした事は「私」という資料作り。
とにかく紙に「私」という具体的な資料を客観的な「私」が生み出し、そして書き込み、歌詞をいくつも創っては、いくつもヘタれデモ曲までも生み出して。
それを持ってはたくさんの人と会って、とにかく「私」をどこへでも行って伝えた。
そのときあったぜーんぶの力と残りわずかな貯金をぜーんぶつぎ込んでとにかく「最後」だって思って、初々しいセルフプロモーションをしまくった。笑。
それでようやく初めて自分の1歩を踏み出せた気持ちになれた気がしてた。
そして間もなくして、「SILVA」というアーティストに生まれ変わる出会いが、私の前に訪れてくれた、23歳の春。
私は今でも「SILVA」になれた、そのチャンスに出会えたあの春が忘れられない。
あの時の私が、私は大好きだったから。
「私」がなんだかわからなかったゆえに終わりを迎えた、最初のプロの道での結果の後、「私が」「私であること」を伝えようと、一人で試行錯誤して前に進もうと必死に足掻いたあの日々が、最高にしんどくて、でも最大に充実してたから。
プロになる事への意識をとても強いものにさせた、大切な大切な時期だったと今でも体が覚えてる。
世界中のたくさんの才能が日々努力して、その中からほんの一握りのアーティストがその才能を開花させるチャンスに出会い、そして溢れるほどの情熱を音楽という形に表現して、それに魅了されたスタッフがその作品にさらに情熱を注ぎ込んでくれて、そしてそれを市場という土俵でセールス枚数という数字の形で結果を出し、またこの数字が飛び抜けた事で初めて一流のプロとして認められ、たくさんの人に感動を与えられたという評価があった時代。
今はその頃よりも音楽やアート作品がコンビニに手に入れる事ができるようになり、同じくして、表現する側のプロへの道も間口が広くなり、入りやすくなった時代になり。
世界中の人たちが互いの趣味や音楽を共有しあえ、この変化とともに私たちの作品も人から人へと届く形もスピードも結果も日々急速に変わって行っている。
そんな時の流れの中でも、SILVAになった98年から14年経った今、私の中には変わらないものはある。
それは私は「私作り」が大好きで、それが私の人生で最高に楽しい行為と言う事。
だからまた「私」を書き出して、描きだしてみた、2012年春。
何度だって最初の一歩が踏み出せるなら、踏み出してみたい、あの頃のように。
新曲 Title: Friend (04:43) 作詞/SILVA 作曲・アレンジ/朝本浩文
10年ぶり 新曲オリジナルソング 98年デビューからの往年の最強タッグで贈る、
朝本浩文-作曲 x SILVA-作詞の 新曲「Friend」は爽快疾走アッパーダンスチューン。
「1度だけでいいから、キスしてもいい?」一線を越えられない異性への恋心を哀愁メロディに乗せてSILVA節が炸裂する☆
2012年6月20日 レコ直、iTunesなどで 配信開始!
しっかし、長い独り言だなー。苦笑
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20120510/01/silvaworld/19/2d/j/t02200220_0702070211964738485.jpg?caw=800)