とても考えさせられる案件と向き合っています。
何をどうすれば良いのかと頭を抱えましたが、これはきっと私に未知の世界を学べと言われているのだと解釈しています。
何が正しくて、何が間違いなのかもわからなくなります。
ただ、言えることはどんなに口うるさくても”おかあさん”と呼ばれる人達の役目はとても大きなポジションだということを痛感したのです。
”おかあさん”の役目をおろそかにしてはいけないと今さらながらに思います。
幼い頃、育児放棄されて苦労して育った人がいます。
まじめな努力家で自分の目標に向かってコツコツとがんばる人です。
彼女が前に進むにはどうしたらいいんだろ?
ずっとつき合っていくうちに人としての彼女が少しづつ見えてきました。
とても優しい人です。
でも、優しいことと気が弱いことは紙一重なのかもしれません。
私が一番気になったのは自己肯定感の低さ・・・というか、低いならばあげていけば良いのですが、自己肯定感そのものが無い。。。。
想像するに、幼少期から褒められたり、励まされたり、認めてもらったりという体験が圧倒的に少ないのではないでしょうか。
子育て中に何気に発する会話・・・
「〇〇ちゃんがしてくれたから助かったわ。ありがとう」
「△△ができるって凄いね!」
この種の言葉を言われたことが無いのかもしれないと思ってしまうほどに「ワタシなんて」の気持ちが強いのです。
ひょっとしたら、ママにギュって抱きしめてもらうとか、頭をなでてもらうとか、一緒に寝ることも無かったのかもと思うと切なくなります。
もうすでに大人になっているので今さら感はあるのですが。
彼女が子供の頃にママに抱っこしてもらっていたら、今はまた違っていたのかもと思ってしまいます。
口うるさくて、細かくて、しつこいおかあさんがいたら、全然違う未来だったかもしれません。
(それはそれでめんどくさいかな)
何かを始める時にも、おかあさんじゃなくてもいいけど、人生の先輩としてのアドバイスをしてくれる大人がそばにいたら、今とは違っていたのかも。
たとえば、誰かにお礼を言う時にもその人に失礼のない様に感謝の気持ちを伝える方法って場数を踏んでいるほどたくさんのアドバイスができるでしょう。
「こどもワクワク食堂」に来る子供達にはたくさんの大人に出会ってほしいと願っています。
親や先生以外の、それも全く種類の違う大人に出会うことで子供の世界は広がっていきます。
彼女にはその機会も圧倒的に少なかったのだろうと察することができます。
限られた空間の中で限られた人達との交流しか無かったら?
経験値はもちろんのこと、考え方にも偏りが出てくることは明らかです。
事実、何を言われてもその内容をマイナスにしか解釈できません。
なぜ、そんなに悪い方にばかり受け取るのかな?と最初は変に思ったのですが。
マイナスな結果しかでない体験しかしてこなかったのかもしれないと思い当たります。
彼女が生まれて、その素敵な名前をつけた時はたぶんみんなが幸せだったのでしょう。
どこで、なにが違ってきたのか・・・私にはわかりません。
子供を産んだらすぐに親になれるわけではありません。
七転八倒しながら、子供と一緒に育ちながら、いつの間にか親になっていて、そのうち子供に追い越される日もくるのです。
でも、彼女のおかあさんは”親”になることを拒絶したんだな。。。
いろんな事情があったのでしょうが、彼女の寂し気な微笑みを見ると切ないです。
私には彼女の生きてきた世界がわかりません。
今、私が生きている世界の方が正しいとかいうのとも違います。
彼女の人生はこれからも彼女のモノであって、他人がとやかく口を出すことでもありません。
もちろん、世の中にはいろんな種類の人がいて、色々な考え方があって、その中でそれぞれに折り合いを付けながら生きているわけですが。
みんなが良い人ではないかもしれないけど。
もっと、誰かを信じてもいいんじゃないかと思ってしまします。
警戒することは悪いことではないけれど、何もかも最初から疑って関わるってしんどいだろうなぁ。
気が休まる暇がないよね?
そりゃ、悪い人もいるだろうけど、周りを見渡せば、きっと心配してくれたり気遣ってくれたりする人もいるのです。
彼女がそれに気がつかないだけ。
気がついても、その優しさを真正面から受け取らずに裏を見ようとしてしまうのでしょう。
裏なんてないのにさ。。。
これは他人に言われて改善するものでもないし(改善とも違うし)あくまでも自分で気がついて、自分で歩みを進めていく中で解決していくものだし。
自分で気がつかないとどうしようも無いのよね。
人生は自分の想うように出来上がっていくのかもしれません。
それならば、もっと明るい未来を思い描きたいものです。
自分の力不足というか、その方面の経験値の低さを痛感した出会いでもありました。
私って・・・ホンマにノホホンと能天気に生きてきたんやなぁ(笑)
別に眉間にしわを寄せて生きるつもりはサラサラないので、この先もユルユルと生きていくのでしょうが。
私の人生ではないけれど、彼女のこれから先が少しでも緩やかで楽しくあることを祈ります。
(備忘録として書き留めておきます)