さあ、神武天皇(イワレビコ)は、生駒(白肩)に到着しましたが、、今の東大阪あたり、、この辺は、 盾津と呼ばれてました。
盾の津。。津とは船着き場という意味がある。イワレビコが河内潟に入り、川をさかのぼって着いた場所を、白肩の津と呼びまし
た、、、これは、地元の豪族ナガスネヒコが待ち構えており、イワレビコの軍と戦闘になった、、
ナガスネヒコの放った矢が、イワレビコの兄のイツセの肘に当たり、イツセは、
「太陽の子である我々は、西から攻めてはダメだ。」ということで、退去し、士気を鼓舞するため盾を並べて、雄たけびを上げた!!
しかし、ナガスネヒコから受けた、矢傷がもとで、イツセは亡くなってしまいました。。
イツセ終焉の地に立つのが、、男神社(おの)、、これもあります、泉南郡泉南市男里3-16-1です。。おのさとですね。
兄をなくしたイワレビコは、軍を率いて海を南下し、熊野の村に到着します。熊野とは「神の」という意味ですね。
古事記によれば、熊野の地で、巨大な熊の姿の神が現れて、その霊力により、皆意識を失ってしまうんですが、
タカミカヅチの命令をうけた、熊野のタカクラジというものが、一振りの剣を届けてくれたおかげで、助かりました。。
これが布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)です。。これはタカミカヅチが、天照の命をうけ、大国主に国譲りを迫った際に
振りかざした剣でした、
スサノウがヤマタノオロチを退治した剣は、天羽乃斬(あめのはばきり)。。ヤマタノオロチのしっぽから取り出されたのは
草薙剣(天叢雲剣)。。そして巨大熊から救ってくれた布都御魂剣,、3つあわせて神代三剣!
この布都御魂剣は、崇神天皇の時代に石上神宮【いそのかみ)に移されました、、3剣のうち2つもここにある。。
そして、古事記によればタカムスビの神、、、日本書紀では天照さまが、八咫烏を道案内にと届けてくださった。。
それにより、イワレビコの一軍は、山を越え,道を穿ち、地元の豪族と和解し、熊野から吉野を抜け、宇陀に至りました。
そこからさらに山を越えて、、奈良盆地へ、、菱形で大和平野とも呼ばれています。。
周囲山に囲まれて、森が広がっていますね、、そこで、イワレビコは神武天皇として即位した。。。
日本国の別名は。。「秋通州」あきつしま。。。美しい名前ですね。。
甘利さんが、35日で3億5千万の裏カネやら、、二階さんが5年で10億、、
ほんま先祖が泣いてますよ、、
今日も美容のはなしできんかったわ!
はあ、、、今で、20冊くらい読まなきゃいけない本がある。。