大阪冬の陣で活躍した、木村重成、、豊臣秀頼に大層愛されてた。。
1万人の女官のほぼ全員が重成のファンだったとか。。ともに大阪の陣を戦った武将もほれぼれしたとか。。
秀頼に弟のようにかわいがられた。実は乳母子だったのですね。
戦国乱世の後にうまれたということね。実際に戦場に出て、リ-ダ-としてやっていけるのかとやっかまれた。。。
ある時その重成の悪口を重成本人に聞かれてしまった、、、当時の武士は、人前で恥をかかされたら、その相手を殺して、自分も
死ぬものだった。。。
ところが重成は、その悪口を言っている武士に「本来なら、私はお前を切って私も死ななければならないが、でも、お前ごときのた
目に、この私の命をくれてたまるか、わたしの命は秀頼さまのためにこそ使うのだ」と言い放ったそうですわよ。
大阪冬の陣での活躍から、秀頼に喜ばれて、御褒美を与えるといわれても、重成は断った。。。
「この勝利は自分だけが、頑張ったのではない。配下の者たちの頑張りがあったからです」と伝えた。。
そのかわり感状を秀頼は授けた、、、自分の部下はこんな功績があるという証明書で、たとえ主家が滅んでも他の人につかえるとき
の扱いと報酬が変わってくるものですね。他家に仕えるときに有効なもの。
ですが、、、「私は、二君に仕えるつもりはない」とこれも断った。。。
こんな部下がいたらいいわね。。
重成は、戦場で足を痛めた部下がまだ逃げられず戦場にとどまったいたところ、、、助けに行くと、敵に囲まれた、、
部下は「私を置いてお逃げください!」というんですが、「何を言うか、そんなつもりならお前を最初から助けになど来ないわ」
といって味方が来るまで、戦った、、、そして全員で城に戻れた。。
そして、夏の陣で、重成は、赤い命を散らした。。。
その間に、重成は結婚をしていたの、、、女官の中でもかなりの美人、、和歌や琴にも優れた方、、青柳、、
その青柳が重成に詠んだ歌。「恋わびて、たゆる命は、さもあらわはれ、さても哀れという人もがな。」
恋の煩いで死んでしまっても構いません、、悔いはありません。のちに哀れといってくれる人がいるかもしれませんから。。
それに、重成が答えて詠んだの。。
「冬枯れの、柳はひとのこころをも 春待ちてこそ 結いとどむらめ」
冬の柳はその寒さに耐えて春を待ち、やがれ人の心を結び留めるだろう。。。
でも結婚生活はわずか4カ月、、、重成のお食事の量も減ってきた、、心配になり青柳が問うと。。。
重成は、「敵に殺されて、腹を裂かれたときに、食べ物が出てきたらあまりにも見苦しいから、食べる量を加減しているんだ」
といったのですね。。青柳の思いたるや。。。それでも、重成の髪を洗い、兜にお香を焚きこめた。。
そして、夫婦は水盃を交わして、重成は、「狙うは家康の首一つ!」と戦場へ、、
戦場では、藤堂高虎の軍を打ち破るなど大活躍したが、、、結局井伊家のものに、打ち破られて、、、重成の首塚は、彦根にある
のだとか。。。その重成の首は、家康のもとに届けられた。。その首からは、えも言えぬかぐわしい香りが。。。
それは、青柳が兜に炊き込めたお香、、、徳川方の諸将は、その悲壮は覚悟に涙を流さぬものはいなかったとか、、
武士道はかっこいいけど、、、それを支えるのは女性なのね。。(白駒妃登美先生)
その青柳、、落城寸前に落ち延びていきまして、近江の国の親戚をたより、時がたち、、、元気な男の子を生んだ。。
そして、、重成の一周忌の後、自害したそうです。
自分はこのために生まれてきたんだということと、何か一つでも出会えたら幸せよね。。
「私は、お前ごときのためには死ねない、大事な秀頼さまのために死ぬことが使命だ」
命の使い道、、、これが大事。。。自分の命を何に燃やすのか、、それこそが、重成と青柳へのはなむけになるわね。
政治家の皆様、、政商になってませんか?
もう、、今日も美容の話しできんかったわ!