正しくは、建国記念の日。
1948年までは、「紀元節」と呼ばれてましたからね。
そもそも2月11日は、初代天皇神武天皇が即位した日ですね。
「紀元節」とは、そのことをお祝いする日だったのです。。。
しかし戦争が終わってからは、この紀元節は、GHQさまが気に入らない。。
「国が紀元節を祝日にしていることは、神武天皇の存在を認めることと同じ。それを認めれば、日本人の団結力を高めてしまう。。」
で、、、廃止。
でも当時の日本人は、紀元節の廃止を素直に受け入れることなどできなかったの。
日本建国の歴史が失われる、、、国民の怒りと強い反発から代わりとなる祝日ができたのね。
それが「建国記念の日」
あくまで日本建国を記念するだけの日だという位置づけにしたかったのね。
この日が日本が建国された日ということ認めることを避けたかった。。
GHQさまが、地道に日本建国に関する記憶を日本人から抜いていかれました・・
自国の成り立ちを教えられず、、建国史を抹殺されました。。
『愛国心』という言葉は赤ペンで消されて、「国を思うこと」と変えられた。
「天皇の歴代記」は、「天皇の伝説」に、「神武東征」は教科書から排除。
「八紘一宇」も削除。日本全体は一つの家であり、家族であるから日本人同士で争わず、仲よくしよう」
というもの。。日本の建国の精神ですね。
それなのに、戦時中に「日本が世界を征服するという意思を示したもの」と180度解釈を捻じ曲げられてしまった。。
神武天皇がおられなかったかのような記述さえある。
しかし、遺跡、遺物、考古学的発見、神社、伝承といった現代に残された記憶を結び付ければ、建国の物語は実在した
史実を元に記述された、日本の正史ですよ。
神武東征のル-トには、美々津、宇佐、筑紫、安芸の国、浪速の国、難波など、今も地名がのこり、この東征ル-トの
ほぼすべての地域に神武天皇がいたという、神社、伝承、神事、祭りなどに「完全」な形で残されています。
神武天皇が即位された、「橿原宮」の近くの纏向遺跡には、なぜか関東、東北系の縄文土器が多いとか、
そこから西日本中心の国家統一から関東中心にした、西日本制覇の歴史だったことがわかってきました。。(田中英道先生)
多くの今までの歴史学者は、日本書紀を無視し、中国の歴史書から古代を紐解くことばかりをしでかし、
いまだに「邪馬台国」がどこにあったかなんて馬鹿なことを論争する。。。卑弥呼なんていやらしい名前を国家統治する人物に
付けるわけがない!!
日本だけです、自国の建国の歴史をまともに教えない国は!
自国の成り立ちも説明できない状態。。。アメリカ人は90%、チャイナは100%自国の建国の日を答えられるのに。。
このままでは、何世代も紡いできた建国の歴史は完全に消えます。。。
「昔の日本は中国の属国で、あらゆることはすべて中国から教わった…」という考えが定着していく。。。
自分の国を好きになれない。。。誇れない若者が増えているとか。。。
これだけは知って!
日本以外の国は、建国と滅亡を繰り返してきた。。日本だけが、建国から2683年、たった一度も途切れることなく、
現存する「世界最古の国家」なのよ。
その価値たるや、、、神武天皇から今の天皇まで126代。。伝統の系譜のつながりのありがたみを感じることができるの。
戦後断ち切られた日本国家の紀元をしってほしいわね。。それが子や孫にも伝わっていけば、、、
そんなことを想った一日でした。。。