車で直行・直帰のつもりが、駐車場から近かったためについフラフラと…!?(←まるでGホイホイに捕まるGのように…?!σ^_^;)
【作品紹介】
18世紀フランスを舞台に、望まぬ結婚を控える貴族の娘と彼女の肖像を描く女性画家の鮮烈な恋を描き、2019年・第72回カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィアパルム賞を受賞したラブストーリー。
「水の中のつぼみ」のセリーヌ・シアマが監督・脚本を手がけ、貴族の娘エロイーズを「午後8時の訪問者」のアデル・エネル、エロイーズの肖像を描く画家のマリアンヌを「不実な女と官能詩人」のノエミ・メルランが演じた。
【あらすじ】
画家のマリアンヌはブルターニュの貴婦人から娘エロイーズの見合いのための肖像画を依頼され、孤島に建つ屋敷を訪れる。エロイーズは結婚を嫌がっているため、マリアンヌは正体を隠して彼女に近づき密かに肖像画を完成させるが、真実を知ったエロイーズから絵の出来栄えを批判されてしまう。描き直すと決めたマリアンヌに、エロイーズは意外にもモデルになると申し出る。キャンパスをはさんで見つめ合い、美しい島をともに散策し、音楽や文学について語り合ううちに、激しい恋に落ちていく2人だったが……。
(以上、映画.comより)
実は始まってすぐ、強烈な眠気に襲われ、しばし意識が飛ぶ…
ハッと気がついたら、なんかマリアンヌがエロイーズの絵を完成させたんだけど、それが気に入らない!ということで描き直しに!?
みたいな展開になっていて…
そしたら、またいつのまにか意識がなくなり、再びハッと気がついたら、マリアンヌとエロイーズとメイドのソフィと一緒にどうやら村祭りに行く場面になっていて…
ということで、前半はほとんど観ていません!
でも、そこからはしっかり覚醒し、物語の展開にもどんどん引き込まれていきました!
まずはいきなりの、なぜか女ばかりの?!村祭りのようす…
これまではBGMやテーマ音楽みたいなものはほとんど?全然?!流れていなかった(だから眠くなった?σ^_^;)と思うんですが、ここであたかもその「戒」?!を破るように、一気に重層的に溢れてくる神秘的で美しい女声コーラスの響き…
何これ?!
グレゴリオ聖歌にも似た…
「神の領域」に近い天上の響きのような…
しかもそれが、アルト・メゾソプラノ・ソプラノと、カデンツァのように次々に上に重なっていくのが、彼女たちがまさに「天上の世界」に少しずつ近づこうとしているかのようでもあり…
18世紀というこの時代ーー
「啓蒙の時代」とも言われ、自由とか人権というものがようやく問われ出した時代…
でも、女性には必ずしもその権利は認められず(それは、マリアンヌが結局は父親の名前でしか作品を発表できなかったというところに表現されている…)、「人間」扱いさえされていなかった時代でもある…
この映画は、そのような女性が人間として人間らしく生きることを否定されていた時代に、人間らしく生きようとした女性の物語を描こうとしたのではないか…
そんな気がしました。
そう言われれば、エロイーズという名前は、「アベラールとエロイーズ」の物語から取ったのだろうか…
人間らしく生きようとして否定され、この世での「女の幸せ」を奪われ「修道女」として生きることを強制されたエロイーズーー
そのエロイーズと、この映画の中のエロイーズが重なる…
また、この時代に活躍したはずの啓蒙思想家ルソーが書いた、身分違いの男女(平民の男と貴族の女性)との悲恋を描いた『新エロイーズ』という小説もありましたよね?
そのイメージとも重ね合わせた作りになっているのかもしれない?!
と、エロイーズとマリアンヌとの「悲恋」をみて思ったりしました。
そして、ルソーの説いた人権思想こそがフランス革命の精神的支柱となり、「自由・平等・博愛」の人類普遍的!?な価値観を構築していくということを考え合わせると、この監督は、次の段階として!?この時点ではあくまでも「人類=男性」に過ぎなかったものを、今こそ「人類=女性だって!」と主張しようとしてしているのかもしれない…
いや、女性だけじゃなく、女性同士の恋愛を堂々と描くことで、現代におけるLGBTの問題をも一般的なものとして認めていくべきとの主張を込めようとしたのかもしれない…
思えば、Lの示す「レズビアン」は、古代ギリシアにおける女流詩人のサッフォーがエーゲ海のレスボス島に彼女によって選ばれた若い女性たちのための学校を作り、またその女性たちに対する愛の詩を多く残したことに由来するそうですが、なぜエロイーズたちが住む家が「島」にあるのか…
ひょっとしたらそこから取ったのかもしれませんね。。。
エロイーズとマリアンヌが語り合うギリシア神話の「オルフェウスの物語」も、とても象徴的でした。
黄泉の国から妻を連れ戻すことを許されたオルフェウスは、なぜ「振り返ってはいけない!」と言われていたのに、もう後少しで黄泉の国から脱出できる!というところまで来て振り返ってしまったのか…
それは…
彼は夫として男としてよりも「詩人」として行動したから…という解釈には、ものすごく納得したし、それはまた、最後にエロイーズを振り返って彼女を目で追ったマリアンヌと、涙を堪えて決して振り返らなかったエロイーズの生き方の違いを示していたのかもしれません…
また…
観終わった後に思いついたんですが、この邦訳なんですが、なんで「燃ゆる」(「燃える」とかではなく…σ^_^;)なのかなと…
で、ここは私の勝手な解釈なんですが、「燃ゆる」といえば「燃ゆる思い」と続くし、「燃ゆる思い」といってすぐに思いつくのが…
かくとだに えやは 伊吹の
さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
(『小倉百人一首』藤原実方朝臣)
ではないかな?と…
これって、エロイーズとマリアンヌの、特に「最後の出会い」に(ちょっとこの歌は技巧に走り過ぎているけど?σ^_^;)ピッタリと当てはまるんじゃないかと…
そんな風に思えて、(まさかフランス人の監督さんや製作者の方がこんな歌の存在なんか知る由もないから…^^;)訳した人グッジョブ!などと思ってしまいました。(^^;;
観る前は、なんか退屈そうな作品かも?!なんて思って、実は観るのをちょっと躊躇ったんですが、観て本当に良かったです!
なんか色々と啓発され?!考えさせられたし…(←半分しか観ていないくせに!?と言わないで〜!^^;)
また、映像がとにかく綺麗で、この映画そのものが美術作品のような?!
島の風景も、エロイーズのマリアンヌを初めとする女性たちの描写も、どこを切り取っても本当に美しくて目が幸せでした…
今回観れなかった前半を含めて、ぜひまた観てみたい!
今、なんかそんな気持ちでいっぱいです…
さ、明日は仕事だ!
コロナなんかに負けずに頑張るぞー!