台湾日記⑥〜台南へ〜2018/11/15(その2) | ヨシベエの観劇感激日記

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ミュージカル好きのヨシベエのブログです。特にミュージカル俳優の平方元基くんの大ファンです。映画と音楽も…あ、それからプロ野球の広島カープも大好きで、観劇と映画鑑賞の感想を中心に、時々カープのことも熱く語りたいと思います。よろしくお願いします。

前回の記事の続きです!

(前回の記事はこちら↓)


台南といえば、ここ!

↑ 1653年、当時台湾を支配していたオランダ人によって造られた要塞である赤崁楼(せきかんろう)

オランダ人のことを「紅毛人」と呼んだことから「紅毛楼」とも呼ばれるそうですが、日本人的には「赤崁楼(せっかんろう)」ですよね…口笛


オランダ人はここを「プロヴィンティア城」と呼んでいたそうです。

赤い瓦とレンガの建物が、青空と木々の緑に囲まれて、とても鮮やかですよね〜!照れ


さて、そのオランダ人を台湾から追放して「台湾人の台湾」の基礎を築いたとされるのが、明の遺臣鄭成功です。

鄭成功のお父さんは、明末に中国南部や日本などで貿易商として活躍していた鄭芝龍で、長崎の平戸に滞在中に日本人女性の田川マツさんと結ばれ、1624年に平戸で彼が生まれたそうです。

彼は7歳まで平戸で成長し、その後父親の故郷の福建省に移り、1644年に明が異民族である女真族の建てた清によって滅ぼされた後は、明の再興のため清に対する武力抵抗を続けました。

そのための拠点としたのが、当時オランダ人によって支配されていた台湾であり、1661年、鄭成功は当時オランダ人の拠点であったゼーランディア城(現在の安平古堡)を包囲して、翌年これを落とし、オランダ人を台湾から一掃して鄭氏台湾の基礎を築きました。

その際、プロヴィンティア城(赤崁楼)は鄭成功によって「東都承天府」と改められ、台湾全島の最高行政機関となりました。

現在は台湾の文化部によって国定古跡に指定されているそうです。


↓ などといったこの赤崁楼の来歴が書かれてある説明板


↑ この「赤崁楼」の敷地内の案内図ですが、南方の強い日差しの中、写真撮ってる私の影がクッキリ写っていますね…


↑ 投降してきたオランダ人と「和議」を結んでいる鄭成功の像

↑ このビール、お土産に買って帰りたかった〜!びっくりショボーン


本当はこの後、現在「安平古堡」と呼ばれているゼーランディア城の跡にも行く予定だったのですが、午前中の嘉義で思いの外時間を取ってしまったため、やむなく割愛されてしまいました…えーん

まあ、帰りの新幹線の時間が決まっているから、仕方ないんですけどね…ショボーン


↑ 台湾新幹線(正式には、「台湾高速鉄道」)

日本の車両技術を導入したもので、当然ながら!?中は日本の新幹線と同じなので、日本人にはとても使い勝手がいいです。おねがい


↑ 乗っている間はヒマ〜!と、くつろぐ私てへぺろ

ちなみに、半袖です。口笛


台南から台北まで2時間弱…

台北駅に着いた頃にはあたりはすっかり暗くなっていました。

↑ 台北駅前(東口)に展示されていた蒸気機関車

日本統治時代の1923年に作られた「LDK58号」で、大理石の産地で有名な花蓮で使用されていたようです。

↑ 案内板の説明

↑ 全体像

赤地に黄色の文字で「LDK58」と書かれているプレートが見えます。

これ、観光客が中の様子を見ることもできるそうですが、今回は暗いし時間もないので省略!ガーン

残念です!えーん

↑ 台北駅前のタクシー乗り場から、台湾名物?!黄色いタクシーに乗って夕食会場のホテルのレストランへ

台湾のタクシー料金は安いそうで、台北市内を15〜20分くらい?は走ったのに、140元!

日本円でだいたい530円くらい?

安くない?!爆笑

(ガイドさんによると、台湾では贅沢品は高いけど、日常必要なものについては、タクシー料金を含めて安いそうです!)


↑ 今夜は飲茶料理です!

台湾最後の晩餐会!?ということで、けっこう豪華でした!ラブ


↑ 散々食い散らかしたあと、デザートのゴマ団子を手に嬉しそうに微笑む私…ウインク


ああ、名残惜しいですが、台北での最後の夜は更けていく…


(まだ続きます!😅)