先日の「台湾研修旅行」の前回の記事の続きなんですが、よかったらお付き合いください…
(前回の記事はこちら↓ )
さて、台湾への研修旅行の3日目は、まずは台湾中部に位置する嘉義へ新幹線で行き、そこから今度は貸切バスでその南の台南まで行って、そこからはまた新幹線で台北まで戻ってくるという、けっこうな強行軍でした!
「嘉義」といえば…
映画『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』の嘉義農林高校があったところ…
(映画の『KANO』については、こちら↓ )
(この映画に関する私の感想をまとめた記事がこちら↓ )
この映画の舞台となった嘉義を訪れるのはこれで3回目です。
訪れれる度に日本人観光客ーーとりわけ、高校の修学旅行生が増えていると感じるのは気のせいでしょうか?
たくさんの日本人の修学旅行生が来ていました。
この上に「八田與一記念館」があるのですが、あまりの学生さんの多さに、今回は立ち寄るのを諦めました…
このお花は、私たちより先に来た人たち(おそらく日本からの修学旅行生)が献花したものと思われます。
ちなみに、この銅像は八田さんの生前に台湾の人たちによって作られたものです。
本当は立派な「立像」にしたかったみたいですが、八田さんが恐縮してそれを断り、普段よくしている「馴染みのポーズ」であったこの坐像のポーズになったそうです。
八田與一さんをはじめ、戦前の日本統治時代の日本人の功績をとりたてて美化するつもりもその必要もありません(むしろそれは日本人の思い上がりや無反省につながるものであり、戒めないといけないことだと思います)が、ただ、その「功績」を功績として正当に評価し、未来へ語り継いでいこうとする台湾の人々の姿勢には本当に頭が下がりますし、学ばないといけないところだと思います。
もちろん、台湾人の中にもいろんな人がおり、実際、近年この八田さんの銅像の首が台湾の人によって「切断」されるという事件が起こりました。
この事件は、その翌日に犯人が自首して解決し、銅像も無事修復されたそうです。
しかし、私たち日本人は、一般に「親日的」であると言われる台湾の人たちの好意にただ甘えるだけでなく、台湾の人たちが抱える複雑な歴史的・民族的背景やその思いについて考え、理解し、そしてこれから未来に向けての共存・共生の道を考えていくことこそ(それは台湾の人たちとの関係だけでなく…)大事なのではないかと、あらためて思い知らされた旅になりました。
↑ 烏山頭ダムのすぐ横、八田與一さんをはじめダム建設に従事した日本人技師たちが住んでいた住宅を復元して、当時の姿のまま展示している八田與一記念公園
奥様は、八田さんが1942年にフィリピンへの赴任を命じられ、フィリピンに向かう船が米軍による攻撃を受けて亡くなられた後、その死を悲しんで、夫である八田さんが作ったダムの注水口(上の写真)に身を投げて亡くなられたそうです。
(娘さんは知人に預けて、戦後も生き抜かれたそうです)
「二人は亡くなってからもラブラブね〜!」
と、台湾人の女性のガイドさんがおっしゃられていたのが、とても印象的でした。