今日もまだ学校の「補習」がある次女さんが午後に帰ってきてから、みんなで広島市内に行きました。
そしたら、次女さんが急に「原爆資料館に行きたい!」と言いだして…
広島県内の学校は基本的に「平和教育」にすごく力を入れていて、長男くんも次女さんも、小学校5年生の時に「社会見学」として平和公園&原爆資料館に訪れています。
その他にもマンガ『はだしのゲン』のアニメやいろんな平和教育の映画を観たりして、広島・長崎への原爆投下やその後の放射線被害などについても、他県出身の私などよりかなり詳しく知っています。
で、私が広島に来て以来一度も原爆資料館に行ったことがない(長崎の原爆資料館には中学校の修学旅行で行ったんですが…~_~; )と言うと、「そりゃあ絶対に行かんといけん!」と言われましてね…σ(^_^;)
↑ 平和公園の入り口
平和公園にはそれこそ何度も来たことあるんでせけどね…
この像のことは知っていましたが、実はそれがここにあることは初めて知りました…
ほんと、私は今まで何を見てきたんでしょうね…
そのものは修復中であるため、その向かって右隣にある東館に入りました。
↑ 広島への原爆投下の瞬間を再現したシュミレーション映像
↑「しんちゃんの三輪車」については聞いたことがあります。
当時3歳だった鉄谷伸一くんは、自宅前でこの三輪車に乗って遊んでいる時に被爆して亡くなりました。
伸ちゃんのお父さんは、たった3歳の息子がお墓に入るのはさみしいだろうと思い、また、原爆で焼かれた体をもう一度火葬するのはあまりにも可哀想だと考えて、伸ちゃんの亡骸と三輪車を一緒に、自宅の庭の片隅に埋葬しました。
40年後の1985年、お父さんは伸ちゃんをお墓に納めることにし、三輪車と伸ちゃんの遺骨を掘り出しました。
その際に三輪車を平和記念資料館に寄贈なさったのだそうです。
↑ どちらも、まだ旧制中学校に在籍中、被爆して亡くなった子供達です。
その亡くなった時の様子や、お母さんの思いなどが綴られていて、ここで思いっきり泣いてしまいました…
↓ これは、向かって左側のお子さんが被爆された時に身につけられていた学生ズボンです。
原爆の悲惨さや核兵器の恐ろしさをまざまざと見せつけられ、こんな悲惨な出来事が二度とあってはならないし、起こしてはならない!と、あらためて思い知らされました。
館内には、日本人より外国人の方が多いような気もしました。
親子連れも多く、いろんな言語が飛び交う中、この方たちが自分の国に帰って、72年前のヒロシマで何が起こったのかについて伝え、まただからこそこれからの人類は…私たちはどうしなければいけないのかについて考える(それはまた、私自身の課題でもありますが…)きっかけになってくれたらと願ってやみません。