私は、この夏で60歳になります。還暦間近です。

人生、時間が経つのが早過ぎます。



自分の人生は、あと、どのくらい残っているんだろう、などと、つらつら考えてしまう今日この頃です。

そして、これが、老いるということなのかな、と思うくらい、行動が出来なくなってしまった。

更年期と一言で片付けたくはないが、あんなに色んな事が出来ていた自分は、今いない。

何をやるにも億劫、面倒臭いと思ってしまう。

でも、気持ちの中では、やりたい事が色々ある。

だけど、前に進めないんだよね。

若い頃は、恐れを知らないというか、どこからあんなパワーが湧いて来てたのかって思うくらい、恐れずやってたなと思う。

まあ、興味はないでしょうが、お暇でしたら、私の若い頃のエピソードを読んで頂けたらなと思います。



まずは、恋愛編ですね。

小5の時、クラスに凄く好きな子がいて、
プレゼントしたりしてましたね。

残念ながら、彼は私の友達を好きになり、撃沈しましたが(笑)

中学校の時、好きな男の子に、バレンタインのチョコあげたり、

高校の時は、2年生の初めに好きな子に告白、そして、同じ子に、3年生の夏にもう一度告白。

はい、撃沈でございます(笑)

違うクラスで、話した事もない子で、私がとびきりの可愛い子なら、成功もするでしょうけど、至って普通というか、地味めな感じでしたので、当然っちゃ当然です。

相手は、ほんと、少女マンガから出てきたかと思うくらいの格好よく背が高い子で、高嶺の花な人だったわけです。

にもかかわらず、ほんと、チャレンジャーでしたね、私(笑)

2回目の告白をしようと思ったのは、もう一度告白して、ダメだったらキッパリ諦めようと心に決めたからです。


そして、他校の友人に、彼氏を紹介してもらおうとと、そこまで考えての行動でした。



自分で、ここまでって、線を引いてしまう所があったので、無謀なチャレンジをしたわけですが、その時思っていた事は、



「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい」

でした。

もう、ほんと、今の自分に言い聞かせてあげたいです。

どこからあんな勇気が湧いて来てたのか、ほんと、今となっては不思議です。

次に、バンドをやってた話

最初に断っておきますが、めちゃ下手くそなバンドでした。

楽器、初心者の集まり。

高校1年の終わり頃から、バンドやりたいねと、友達と話すようになり、中学生の時に、初めてフォークギターを買って、アリスとか練習していた私でしたが、やっぱ、ギターの素質なかったんだろうな。

上手にはならなかったんだけど、ドラムの子も、ベースの子も、みんな初心者で、みんな独学で、ピアノの子も、少しやってたって、いう感じの子。



それでも、バンドやりたい気持ちはどんどん強くなり、私の1こ違いの兄貴が、バンドを組んでいて、大学生のお兄さん達が作っているサークルに、兄貴も入っていて、兄貴のつてで、私達も入れて貰った。

日曜日は、ギターを抱えて、バスに乗って、青少年センターに練習に行く。

楽しかった。

そして、そのサークル主催のコンサートがあって、下手くそな私達のバンドもステージに上がって演奏したわけです。

一番最初の出番でした。高校3年生の夏です。

その時は、私、下手くそなのに、エレキギターなんか弾いておりました。

照明とか、音源の調整とか、大学生のお兄さん達がやってくれます。

曲の間奏の、自分のギターのソロの所、スポットライトが自分にパーッと当たった。


その瞬間は、緊張とか、恐れとか全くなくて、気持ちいい〜って、なって、失敗せずに上手く弾けたんですよね。(自分なりに)

出番が終わったあと、大学生のお兄さんが、

「よかったよ〜。今までで、一番良かったんじゃない?」って褒めてくれて、嬉しかったなあ。


今思うと、見えない力が援助してくれたんだと思う。

このサークルでは、海水浴にも行った。


楽しかった。


幼稚園の時、友達といつも、歌ごっこをやっていて、ステージに見立てて、ちょっと高い所に登って、木の枝折ったのをマイクにして、一人ずつ歌うっていう遊びをいつもやっていて、



歌が上手なわけでもないのに、歌手になりたいなどと思っていた幼少期。

バンドでステージに立って、ギター弾いて、歌って、スポットライトを浴びた、

ある意味、小さい頃の夢、叶いました(笑)



元々、人前に出て行く子ではなかったけれど、ステージに上がる、あの勇気は、どこから湧いてきたのか、今思うと不思議です。

次は、ラジオに声が出た話。

中学校を卒業したばかりの春休み。

当時、私は、アリスの谷村新司さんの大ファンでして、「谷村新司の青春キャンパス」というラジオ番組があったのですけど、

その中で、全国の高校生から募集する、キャンパススタッフというものに友人と二人で応募して、キャンパススタッフになってた時があったのです。



ラジオ局は、福岡市にあるので、私達は北九州から電車に乗って、毎週だったかな?
キャンパス会議というのに行ってたわけです。

他のキャンパススタッフの人達は、皆さん、1つ、2つ年上で、お兄さんお姉さん達の中に混じっていたのですが、そもそも、皆さん福岡在住の人達で、北九州から来てるのは私達だけだった。



面接の時に、北九州からくると、電車賃かかるけど、大丈夫?って聞かれて、大丈夫です!って答えて意欲見せたから、採用されたんだと思う。



そもそも、何で、キャンパススタッフに応募しようかと思ったかと言うと、「谷村さんに会えますよ〜」という言葉に釣られて、です(笑)


まあ、結論、会えなかったです。


東京の方のキャンパススタッフとかは、会えたかもしれませんが、福岡ですからね。


ラジオ局で、漫画家の楳図かずおさんには会いましたけど(笑)


それで、キャンパススタッフの自己紹介で、福岡のキャンパススタッフの紹介で、自分の声がラジオに流れたってわけです。


こんな経験、なかなか出来る事ではないので、ほんと、いい経験させて貰ったなと思います。


大人になって、結婚して、子供生まれて、

次の自分のステージは、ハンドメイドの世界でした。


ステージってほどじゃないけど、イベントにいっぱい出店してました。


その頃は、カントリードールとか、布小物を作っていて、今のように、パワーストーンはやってなかったんだけど、楽しかったですね。


ハンドメイド関係の知り合いも出来たし、本当に楽しかった。


だけど、どのころからか、段々元気なくなって来て、手作りもしなくてパートに出てた時期が10年くらいあったかな。


19年前に父親が亡くなり、自分のせいだと思い、鬱になり、立ち上がるまでに時間がかかった。


夫婦関係も上手く行かなかった。


時折り、手をあげられたこともあり、段々とあんなに行動的だった自分は、自分の殻に閉じこもるようになってしまって、


沢山泣いたし、離婚も経験して、


でも、今はパートナーと一緒に生活してるけど、やっぱりまた、別の問題って出てくるんだよね。


今は、お金の勉強、させられてます。


自分の魂が上がるにつれて、壁も高くなるのかな。


だけど、越えられない問題は、出てこないって言うから、きっと、乗り換えられると思う。


離婚して、初めて気づいたことも沢山あって、


不満ばかりこぼしていた自分、どんなに恵まれた環境にいたか。


全て、学びです。


必要なことしか起こらないように出来てる。


そう、思います。


もう少しで、60歳になるのだけれど、何だろうな、自分の節目にしたいと思ったからなのか、ちょっとこう言う事書きたくなったんだよね。


歳と共に、今まで出来ていた事が、段々出来なくなる、それは、普通の事かも知れない。


脳が追いついていけないんだよね。


だけど、焦りもある。


まだ、やり切ってない自分。ハンドメイドの世界で。


慣れないネット販売を、躊躇してる自分。


イベントに出店する事が、しんどくなってきている自分。


お菓子作りを楽しんでたことも、出来なくなった自分。


この間、病気して、身体酷かったから、まずは体力作りしようと思って、今、毎朝、ラジオ体操、第一、第二やって、ストレッチして、


小さな事からやってます。


前のように、ウォーキングも始めたいなとも思う。


そして、身体を丈夫にしながら、心も整えて行きたいと思っている。


毎朝の神様ルーティンはやっているけど、どうやったら、気持ちがいつも前向きで明るくなるのか、


大好きなコーヒーを控えることか、お菓子をやめることか、などと、色々考えております。


生活習慣変えなきゃなと思ってはいる。


残りの人生、気持ちいい、自分でいたい。


楽しい気持ちでいたい。


好きなことを沢山やりたい。


もし、私のように、元気なくなっちゃったって方いたら、頑張りましょう😊


どうせ、いつか、死ぬのですから、それまでは残された時間、楽しまなきゃもったいないですよね。


ちょっとね、今、前向きになってる私です。


恐れを知らず、何でもチャレンジしていた頃の自分を思い出す事で、あの頃の私が応援してくれたような、そんな気持ちになりました。


長くなりましたが、ここまで、お付き合い下さり、本当にありがとうございました😊🙏


では、またね🤗