母が亡くなって、6日経ちました。
今日は、初七日です。
初七日と言っても、お坊さんがお経をあげに来るわけではありません。
まだ、戒名もありません。
父が亡くなった時にお世話になっていたお寺とは、縁が切れてるらしく、父のお墓がある所のお寺さんに、戒名をつけてもらうよう、四十九日までには、兄夫婦が何とかするようでお任せしています。
仏壇も兄宅にあるので、私は、自分の家に遺影を飾って、その前にお水とお線香と、果物、お菓子などのお供え物をして、自分なりの供養をしています。
17年前、父が亡くなった時は、保険がおりたので立派なお葬式をする事が出来ました。
喪主である兄も、初めての体験だったので、
そんなに豪華にしなくても?というくらい、立派なお葬式でした。
湯灌の儀があって、お風呂で身体を洗って貰い、白装束に着替えさせて貰い、ご家族で、足袋の紐を結んであげてください」と。
これ、凄い泣けましたけどね。
霊柩車は、リムジンでした。
リムジンなんて、初めて乗りました。
弔問客は、父とは全く会った事もない、私の元旦那の会社の方や、ほんと、知らない人も沢山来てくれて。
有難いのだけれど、このシステムには、後になって、凄く違和感を覚えました。
お葬式なんて、本当に故人にゆかりのあった人だけでいいんじゃないかと。
父の顔も知らない、会った事もない人が、ただ、お付き合いだからと参加する。
そんなお葬式って、何なんだろうって、あれからずっと思ってました。
母は、湯灌の儀もありません。
白装束を着てるわけではなく、柄の入った浴衣に、上から、折り畳んだ白い着物を乗せていました。
兄もそうですが、私自身も、お金のないことの不甲斐なさを感じました。
こんなことが、もっと早くに想像出来たなら、
少しずつでも積み立てをしてあげればよかったと。
自分の買いたい物、我慢して、お金貯めてればよかったと。
母に、申し訳なさでいっぱいです。
父が亡くなって、しばらく、母は実家で一人で暮らしていましたが、高齢である為、兄夫婦と同居することになりました。
その後、認知症になり、施設に入ったのですが、兄宅の金銭的事情もあり、母は生活保護にお世話になることになりました。
私も離婚をして、パートナーと一緒に住んではいますが、籍を入れてはおらず、生活も全く余裕がないので、母は、生活保護のお世話になっておりました。
そして、母が危篤の時、病院で、お葬式はどうしようかと兄と話し合った時、兄から言われたのは、生活保護から葬式代が出ると思って、最小限の葬儀の形にしたけれど、お坊さんを呼んだり、少しでも手出しをすると、生活保護から出ないと。
しかも、お坊さんを呼ぶと20万ほどかかる。
だから、お経もない。
それを聞いた時、母が可哀想でなりませんでした。まだ、母の息があった時です。
お葬式って、当たり前に、あの形を想像していたので、こんな見送り方ってあるのかと思いました。
もうすぐ、逝こうであろう母に、
「ごめんね、ちゃんとしたお葬式もしてあげられそうにない。ごめんね。」って泣きました。
結果、兄や私が生活保護ではないので、生活保護からは、いっさい出ませんでした。
葬儀場は、町中の小さな古い葬儀場でした。
父の時との格差に、本当に申し訳ない気持ちになりました。
祭壇もないと聞いていて、母の棺の前に、お焼香の為の台があって、花もなく、母が可哀想でした。
しかし、1晩明けて、朝、兄から電話があり、
「母の後に、祭壇が用意されとるぞ」と。
「え?⁈、ほんと?!よかった( ; ; )」
でも、お花は、少ないかもしれんと。
じやあ、私、買って行くよと。
葬儀場に着くと、ちゃんと祭壇があり、お花も飾って貰ってて、本当に嬉しかった。
「婆ちゃん、よかったね( ; ; )」って、棺の中の母に話しかけました。
遺族が待機する部屋は、畳6畳で、コタツが1つの小さな部屋。
最大人数は10人まででした。
兄の子が、古いアルバムを持って来て、みんなで見ました。
母は、若い頃の写真は、全部捨ててないと言っていたのですが、写真に写る女性。
白黒の古い写真。
これ、誰だろう?
兄に聞いたら、母だと。
母が二十歳の頃だと。
初めて、母の若い頃を見ました。
会社に勤めていた頃で、スーツを着て、パリッとした感じで、小顔の可愛い母でした。
母にも、こんな頃があったんだと、愛おしさが出てきて、スマホで写真に写しました。
身内だけにしかわからない会話で盛り上がり、母を見送ることが出来ました。
お葬式なんて、これでいいのかもしれません。
お金がある方は、でっかいお葬式してあげればいいことだし、色んな形があっていいんだと思えました。
大切なのは、故人を偲ぶ気持ち。
お坊さんが来なくても、お経が無くても、
残された家族が、故人への感謝と、祈る気持ちがあれば、きっと天国にいける、そう思います。
今日は、初七日。
お坊さんのお経のようにはいかないけれど、
私に出来ることは、般若心経を唱えることくらい。
きっと、母は聞いてくれてる、そう思います。
「いつ、覚えたんね?ありがとう」
そんな母の声が聞こえる気がします。
今日は、初七日です。
初七日と言っても、お坊さんがお経をあげに来るわけではありません。
まだ、戒名もありません。
父が亡くなった時にお世話になっていたお寺とは、縁が切れてるらしく、父のお墓がある所のお寺さんに、戒名をつけてもらうよう、四十九日までには、兄夫婦が何とかするようでお任せしています。
仏壇も兄宅にあるので、私は、自分の家に遺影を飾って、その前にお水とお線香と、果物、お菓子などのお供え物をして、自分なりの供養をしています。
17年前、父が亡くなった時は、保険がおりたので立派なお葬式をする事が出来ました。
喪主である兄も、初めての体験だったので、
そんなに豪華にしなくても?というくらい、立派なお葬式でした。
湯灌の儀があって、お風呂で身体を洗って貰い、白装束に着替えさせて貰い、ご家族で、足袋の紐を結んであげてください」と。
これ、凄い泣けましたけどね。
霊柩車は、リムジンでした。
リムジンなんて、初めて乗りました。
弔問客は、父とは全く会った事もない、私の元旦那の会社の方や、ほんと、知らない人も沢山来てくれて。
有難いのだけれど、このシステムには、後になって、凄く違和感を覚えました。
お葬式なんて、本当に故人にゆかりのあった人だけでいいんじゃないかと。
父の顔も知らない、会った事もない人が、ただ、お付き合いだからと参加する。
そんなお葬式って、何なんだろうって、あれからずっと思ってました。
母は、湯灌の儀もありません。
白装束を着てるわけではなく、柄の入った浴衣に、上から、折り畳んだ白い着物を乗せていました。
兄もそうですが、私自身も、お金のないことの不甲斐なさを感じました。
こんなことが、もっと早くに想像出来たなら、
少しずつでも積み立てをしてあげればよかったと。
自分の買いたい物、我慢して、お金貯めてればよかったと。
母に、申し訳なさでいっぱいです。
父が亡くなって、しばらく、母は実家で一人で暮らしていましたが、高齢である為、兄夫婦と同居することになりました。
その後、認知症になり、施設に入ったのですが、兄宅の金銭的事情もあり、母は生活保護にお世話になることになりました。
私も離婚をして、パートナーと一緒に住んではいますが、籍を入れてはおらず、生活も全く余裕がないので、母は、生活保護のお世話になっておりました。
そして、母が危篤の時、病院で、お葬式はどうしようかと兄と話し合った時、兄から言われたのは、生活保護から葬式代が出ると思って、最小限の葬儀の形にしたけれど、お坊さんを呼んだり、少しでも手出しをすると、生活保護から出ないと。
しかも、お坊さんを呼ぶと20万ほどかかる。
だから、お経もない。
それを聞いた時、母が可哀想でなりませんでした。まだ、母の息があった時です。
お葬式って、当たり前に、あの形を想像していたので、こんな見送り方ってあるのかと思いました。
もうすぐ、逝こうであろう母に、
「ごめんね、ちゃんとしたお葬式もしてあげられそうにない。ごめんね。」って泣きました。
結果、兄や私が生活保護ではないので、生活保護からは、いっさい出ませんでした。
葬儀場は、町中の小さな古い葬儀場でした。
父の時との格差に、本当に申し訳ない気持ちになりました。
祭壇もないと聞いていて、母の棺の前に、お焼香の為の台があって、花もなく、母が可哀想でした。
しかし、1晩明けて、朝、兄から電話があり、
「母の後に、祭壇が用意されとるぞ」と。
「え?⁈、ほんと?!よかった( ; ; )」
でも、お花は、少ないかもしれんと。
じやあ、私、買って行くよと。
葬儀場に着くと、ちゃんと祭壇があり、お花も飾って貰ってて、本当に嬉しかった。
「婆ちゃん、よかったね( ; ; )」って、棺の中の母に話しかけました。
遺族が待機する部屋は、畳6畳で、コタツが1つの小さな部屋。
最大人数は10人まででした。
兄の子が、古いアルバムを持って来て、みんなで見ました。
母は、若い頃の写真は、全部捨ててないと言っていたのですが、写真に写る女性。
白黒の古い写真。
これ、誰だろう?
兄に聞いたら、母だと。
母が二十歳の頃だと。
初めて、母の若い頃を見ました。
会社に勤めていた頃で、スーツを着て、パリッとした感じで、小顔の可愛い母でした。
母にも、こんな頃があったんだと、愛おしさが出てきて、スマホで写真に写しました。
身内だけにしかわからない会話で盛り上がり、母を見送ることが出来ました。
お葬式なんて、これでいいのかもしれません。
お金がある方は、でっかいお葬式してあげればいいことだし、色んな形があっていいんだと思えました。
大切なのは、故人を偲ぶ気持ち。
お坊さんが来なくても、お経が無くても、
残された家族が、故人への感謝と、祈る気持ちがあれば、きっと天国にいける、そう思います。
今日は、初七日。
お坊さんのお経のようにはいかないけれど、
私に出来ることは、般若心経を唱えることくらい。
きっと、母は聞いてくれてる、そう思います。
「いつ、覚えたんね?ありがとう」
そんな母の声が聞こえる気がします。