クリスマスに母に会う事が出来、コロナ禍の中、これで会うのが最後になるだろうと思い、母にありがとうを伝えました。

そして、年を越せるだろうか、と、年末を過ごし、元旦の朝、病院から電話があり、年明け早々かと、恐る恐る電話に出ましたが、「容態は変わらないのですが、とは言え、よくはないので、先生が、面会に来られてくださいとおっしゃってます。いつでも入れるようにしておきます」と看護師さんから言われました。

子供達に、面会が許されたことを連絡し、娘と2日に一緒に行く約束をしました。

しかし、私は、すぐにでも会いに行きたくて、その日のうちに行くことにしました。

午前中、いつもお参りに行く不動寺に行き、母の為のお守りを買いました。

この日は1日なので、護摩焚き供養があり、護摩木に、「母の最期が穏やかでありますように。迷わず、神様の元に逝けますように」と書き、守りを握りしめて参加しました。

途中、お坊様が、読経の中、でっかい教本みたいなもので、後ろから肩を叩いてくださった時、涙がポロポロと溢れました。

そして、お寺を後にし、病院へ向かいました。

この日の母は、もう、話す事が出来ませんでした。目を開けることも出来ませんでした。
呼びかけにも反応しませんでした。
でも、少し顔を動かす瞬間があったので、声は聞こえていたのかも知れません。

この間来た時には、産んでくれてありがとうと言う私の目を見て、母も涙を流しながら、ありがとうと応えてくれたのに、1週間の間に、こんな風になっていました。

母の顔を見た時に、もう数日しか持たないのではないかと思いました。

そして、兄と子供達にも連絡し、早めに会いに行くようにと伝えました。

次の日、2日の朝、6時頃、病院から電話がありました。

呼吸が浅くなっています。血圧はまだ100くらいありますが、来てくださいと。

みんなに連絡をし、用意をして病院に向かいました。

深い息を繰り返す母。
朝、電話をくれた時よりは、安定してるようでした。

病院側が、私達のために、部屋を用意してくださり、時々、母の様子を見に行ったりして、夕方まで過ごしました。

これは、夜中まで、長期戦になるかもしれないと、兄の勧めもあって、車を家に置きに帰ることにしました。

亡くなったら、お前は車の運転が多分出来ないと。なので、次男と一緒に私の家に帰って、次男の車でまた病院に向かう事にしました。

娘も、一旦、彼と住む家に帰って出直すと。

長男は、彼女と、元旦那の家に行くことになっているので、病院の近くなので、何かあったらすぐ連絡してくれと言う事で、兄を部屋に残しました。

私と次男が家に着き、次男はさっとシャワーを浴び、その間、私は、メガネや化粧道具など、いるものを用意し、トイレに入った時でした。

私のパートナーが、「電話かかってるよ!」
長男からでした。
7時過ぎに、婆ちゃんが息を引き取ったと。

ワッーと、私は泣き崩れました。

帰らなければよかったと、声を立てて泣きました。

そして、次男と病院へ向かいました。

病院に着いた時には、エレベーターで下に運ばれるところでした。

全身に白い布をかけられた母を見て、エレベーターの中で泣きました。

安置室に運ばれ、亡くなった母と対面しました。

お化粧をして貰った母。

よく頑張ったねと、母の額を撫でました。

94歳の大往生でした。

大正、昭和、平成、令和を生き、戦争を体験し、二十歳で母親を亡くし、沢山の弟や妹の世話し、父と結婚し、兄と私、そして6人の孫を授かり、最期は認知症を患いましたが、子供と孫に看取られて、人生の幕を降ろしました。

最期の最期に、立ち会えなかったけれど、
子供の頃から泣き虫だった私に、母はきっと逝くところを見せたくなかったのでしょう。
私には、耐えられないと思ったのでしょう。
運転中でもなく、家に着くと同時に逝ったのですから。

お葬式は、お坊さんもいない家族葬でした。
父の時は、初めてで、兄も大きなお葬式をしたのですが、母は、金銭的な理由で、小さな小さなお葬式でした。

お坊さんのお経もない葬儀を、可哀想だと思い、まだ息がある時に、母に謝りました。

でも、家族葬は、思っていた以上に素敵なお葬式でした。

葬儀場の小さな1室に、コタツが一つ。
コタツに入って、身内だけで、母を見送る時間は、とても幸せでした。

そして、昨日、4日。お別れ式をし、棺に沢山のお花を入れ、母にお別れを告げました。

私と兄が、母と一緒に霊柩車に乗り、火葬場へ向かいました。

そこでのお別れも、辛いのもでした。
小さな細胞から育てて貰った母の身体。

抱っこしてくれた手。

ご飯を作ってくれた手。

私を見ていた瞳。

叱ってくれた口。

温もりをくれた身体の全てが、無くなろうとしているのは、本当に辛いものでした。

ありがとうと何度も伝え、母は小さい姿になりました。

1日経ち、一人になると悲しみが押し寄せて来ては涙が溢れてしまいます。

父の時も悲しかったけれど、やはり母親は、子供にとって特別な存在です。

母ロスという言葉があるそうで、まさに私も今、そうなのかもしれません。

母に会いたいです。寂しいです。

ネットで検索している時、海老蔵さんの、
「悲しみの中でしか見えない、一筋の光が必ず来ます」と言う言葉を目にし、私もその日を待ちたいと思います。

遺影の写真をもらったので、お経のなかった母の為に、今日から毎日、昔覚えた般若心経を唱えたいと思っています。

私を産み、育てくれた母には、感謝の気持ちでいっぱいです。

あちらで、父と再会し、今度は二人で私達を見守ってくれてると思います。

長くなりましたが、読んで頂き、ありがとうございましたm(_ _)m